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松島や  ああ松島や  松島や
エンジュの広場
がっちゃんてな中2
 日本語全体に女性的性格がつよいことは認めてよい。女性的言語が持久性の
つよい長編詩に結晶しないで短詩型文学を生んだ。では、なぜ日本人は長編詩
のような長い文章を嫌うのか。
 
 それは、日本人が理屈を嫌うからだと考えられる。日本人は言葉の論理を述
べようとしない。詩、短歌、俳句、などが短い文章だというのは日本人が理屈
や論理というものを嫌うからだ。たしかに、どの話にも理屈はある方がいい。
学校に遅刻してきた時に生徒がいいわけを言わずに「先生、遅刻してすいませ
ん」というだけではなぜ遅刻をしたのかさっぱりわからないし、これでは私達
は何にでも結論だけをいうことになってしまう。だから、理屈を言うのも必要
である。
 
 しかし、理屈を言わずに結論だけをいうのも日本人独特の特徴なのかもしれ
ない。「松島や  ああ松島や  松島や」という誰が書いたか知らないけど
有名な俳句があるのは皆さんも多分御存知であろう。この俳句で表わされてい
ることは何かと言われるとうまく言い表せない。ただ単に「松島はいいねえ!
」と、言いたいのかもしれないし、「松島は~~かくかくしかじか~~だから
いいんだよ。」と、言いたいのかもしれない。そこはこの17文字の短い文章
では無理である。でも、日本人の感覚だとこれでいいのだ。(バカボン)誰が
なんと言おうと松島なのだ。アメリカ人、中国人、イギリス人、インド人、誰
に「なんだよ、この文は!」と言われてもこれは日本人が「松島」を表わして
書いた文だからこれでいいのだ。(またバカボン)これが日本人の文化なので
ある。
 
 最近では、理屈やいいわけ、論理にとらわれ過ぎて結論を忘れてしまう人が
いる。なんでも「だってぇー花子ちゃんが私の頭にガチャピンのせるんだもー
ん」「なんでよぉー花美ちゃんだって私のおしりをふとんたたきでたたいたじ
ゃない」などといいわけばかり言ってかんじんの「ごめんなさい」だとか「あ
りがとう(?)」とかの結論を言わない。私は日本人の論理に背を向ける特徴
もいいと思う。やはりいいわけより結論の方が大事だ。