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<font

coior="green">意味のないことの意味</font>
イチゴの広場
小林ねき中1
 「新聞は毎日やる縁日」と言えるだろう。新聞には縁日と同じようにいろい
ろなものが載っているからである。いろいろある中で、一番楽しいものと言え
ば、やはり夜店通りであろう。安物でも新しさが強調されているのが、その魅
力だ。新聞の余白や行間、広告などがそれにあたるだろう。余白や行間、広告
などには新しい発見があるからである。そういったものは、なるべくそれらし
くないところに置いてあった方が良い。新聞の内容は読まず、そういう所に楽
しみを託すのは、情報の極秘化の欲求の現われなのかもしれない。そういった
意味で、内容だけでなくカーニバル的活力も新聞に吹き込んでいった方が良い
のではないか。
 
 内容よりも他のものが気になる。こんな事が良くあるのは、何と言っても学
校である。私は、授業中は、気が向いている時はちゃんと聞いているが、気が
向いてない時は窓の外を見て、「ああ、あの雲はまるでコロッケのようだ(四
時間目が国語の時)。」とか、「先生のあのしぐさは癖かな?」とか、「げっ
っ、あいつはなくそほじってるよ…」とかしょうもないことを考えていて、先
生に指されて焦ったりしている。これは、新聞でいう余白や行間、広告などに
あたる。この様な事は全く意味がない。しかし、意義がある。学校に行って真
面目に授業だけ受けて帰ったら、「学校なんてつまらない!なんで義務教育な
んてあるんだ!!こうなったら首相になって学校を無くしてやる!!!」(オ
イオイ)という事になるだろう。(ならないよ!)こんな事にならないように
、やはり授業以外にも、休み時間に友達と遊んだり、部活に燃えたり、はたま
た前に述べたようなことをして、一般にはあまり意味のないことといわれるこ
とをした方が良いと思う。こういう事があるから、学校生活にも『味』が出る
のだ。余白や行間と言うのは、ただのあまった空間と言うわけではなく、バラ
ンスを取るためにあるのである。
 
 また、今日の社会現象とでも言うべく「ストレス」解消する方法が、1996年
のコニカ調べによると、10代の男女がともにカラオケ、40代の男性が酒、女性
が買い物になっている。カラオケも酒も買い物も意味のないことである。(買
い物は意味があるが,買うことじたいに意味はない)やはり、こういう一見意
味のないことが、「ストレス」と言う現代病を治す薬になっているのである。
 
 「雑草とは、まだ、その美点が発見されていない植物のことである。」とい
う言葉の示すとおり、一見意味のないことでも、実は他のところで役に立って
いるのだ。新聞にある余白や行間は、あまった空間ではなく、心にあるいらな
いものや邪魔なものを捨てる場所なのかもしれない。