先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
もう一つの体験は
アジサイの広場
遠藤せて高2
 『人種差別』『男女差別』『いじめ』『ユダヤ人迫害』などのニュースを、
ここ最近あまり聞かなくなったように思える。それは、法的な平等によるもの
であるからだとも言える。しかし、戦争などの混乱、災害が起きるとすぐにで
も黒人やイラン人、ユダヤ人などや、身体的にハンディキャップがある人など
が弱い立場に立たされ、職を無くしたり就職ができなかったりする事がある。
この『社会的な差別』は、人々の心の中にある強いもの、弱いものを区別する
気持ちから起こってしまうものだ。
 
 今度、私たちの学校でアメリカ留学中に事故に遭い、下半身不随になり車椅
子の生活を送っている山崎泰広さんという方が講演に来る事になっている。山
崎さんは、アメリカの病院で「あなたは何も変っていない。だから今まで持っ
ていた夢を捨てることはない。ただ、これからは、一番効率の良いリハビリの
方法を考えて行けば良い。」と言われたのに対して日本では、「今まで持って
いた目的も夢も全くあきらめてください。あなたはこれから障害者として生き
ていかなければならない。」と言われた。彼は今までとは違う人間なのか?彼
のような告知を受けた場合、それを受け入れるのに何年もかかる人が多いそう
だ。これは、単一民族的に生きてきた日本人が、少しでも他の人との違いがあ
ると、差別やいじめを受けやすいからである。だから、外国人や身体障害者は
受け入れられにくいのだ。
 
 昔からよく男性は仕事、女性は家事と区別され、職場結婚をすると女性の方
が止めなければならなくなったり、産休を取ると職場復帰がし難くなったりと
、必ず女性は不利な立場に置かれていた。今ではいくらかなくなってきてはい
るが、戦後にあった『男尊女卑』という言葉があったけれど、外見だけで今で
もずっと続いているかもしれない。
 
 たしかに、法的な平等は大切な事だ。しかし、その中では関係なく混乱によ
って差別が起きてしまうのなら、私達の考えを根本的に直さなければこれから
も同じ事が繰り返されていくだろう。