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「フランダースの犬」は
アジサイの広場
冨田あよ高1
 私の好きな映画にディズニーの「美女と野獣」がある。この映画の面白さの
一つに野獣の持つ二面性があるであろう。一つは美女の父親を檻に閉じ込める
野獣。ドアを荒々しくしめ、声を聞くものを脅かす野獣である。もう一つは美
女をオオカミから守る野獣であり、美女に書斎をプレゼントする野獣である。
善と悪とをはっきり描き分けるディズニー映画にしては珍しく絶対的悪と絶対
的正義がよく共存している作品であったようにおもう。そもそも我々の世の中
に絶対的な悪と絶対的な正義というものは存在しないのではあるまいか。絶対
的な正義が絶対的な悪を滅ぼすというテレビゲームやテレビアニメでよく見る
構図の歪みを感じずにはおられない。大切なのは道徳的正義を反復しその傍ら
で肯いていることではないのだ。物事の両面性を知り、いかに対象との相互理
解を図るかということが重要であろう。
 
 ではそれにはどうすればよいのか。「奪い合えば足りず、分け合えばあまる
」という言葉がある。我々はつい相手に不都合なことを言われたりすると、イ
メージの中でその人物を悪人に仕立て上げてしまう。悪人だから懲らしめるべ
きだ、ではない。相手と自分は違うということを前提としないと相互理解は達
成されないであろう。相互理解とは自分のコピーを作ることでも自分が相手の
コピーになることでもない。共に在るということである。
 
 しかし我々のごく近くに正義と悪という考えがあるのも事実である。日本人
の住みたい県は人気の高い方から、富山、山形、秋田となっているが、その背
後には「美しい」自然への憧れが見える。
 
 都会の人間は「自然を守ろう」と言う。そして多くの自然保護活動家は「美
しい自然を破壊する、悪の人類」を繰り返し主張する。この考えを仮に徹底さ
せたとすると「人は植物に触ってはいけない」「ウィルスが蔓延して人間が死
んでも黙って我慢するべき」などと言うことになり兼ねない。これが本当に意
味あることであろうか。北海道に住む漫画家ハタ万次郎は言う。「そもそも都
会人の考える自然は野原のキャンプ場だ。北海道では毎年、木の子狩りだけで
何人も死ぬ。」自然は絶対的な正義で人間は絶対的な悪という思い込みを捨て
て、共存の道を探っていくのが現在の課題であろう。
 
 確かに道徳的正義という考えを全く捨ててしまったとしたら社会の秩序は乱
れるであろう。そしてまたその認められやすい道徳的正義を反復しているのが
現在のテレビアニメやテレビゲームに代表される社会の風潮である。しかし神
の子孫という絶対的正義の下、侵略行為を繰り返した民族を我々は知っている
。絶対的という冠にこだわって相互理解を頭から否定するのは愚かなことだ。
我々は自分が二面性を持つ「野獣」であることをまず認識すべきではなかろう
か。
 
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