先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
スポーツの勝ち負け
アジサイの広場
風間こと大2
 昔、自分が通っていた学校の横を通る時、ジャージを着て一生懸命、走って
いる学生とすれ違うことがある。どんなスポーツをやっているのかは分からな
いが楽しんでいる事は充分に分かる。プロにしろアマチュアにしろ、どんなス
ポーツでも厳しい練習が付き物だ。では何故そのような辛い思いまでしてスポ
ーツをやり続けるのか。自らの心身を鍛えるためか、それとも相手を打ち負か
して快感を得るためか。その答えは人によって様々だろうが『勝つこと』が優
先されるのが今日の社会である。
 
 よく有名な体育の先生がスポーツの目的は『健康を維持する事』という。確
かに、その通りだが、これは庶民レベルの話である。プロ(もしくはアマチュ
ア)では『商業主義』という概念がスポーツの領域に入ってくるため『勝つこ
と』はもちろんのこと『勝たなければならない』という雰囲気が自然と出来上
がる。この前のワールド・カップの日本代表が良い例だ。最近では『サッカー
くじ』も出来つつあり、より『勝ち負け』が明暗を分けることとなる。今日で
は『自由主義のスポーツ』と『商業主義のスポーツ』という二つのスポーツが
存在する。
 
 南米の発展途上国のアルゼンチンでは多くの人が貧困に喘いでいる。その貧
困から脱出できる唯一の方法が『プロのサッカー選手になること』だそうだ。
アルゼンチンは特別かもしれないがスポーツの勝ち負けが、その人の人生を大
きく変えてしまうことが少なくない。アメリカではオリンピックで金メダルを
獲得すれば一生遊んで暮らせる程の大金が舞い込んでくる。プロのスポーツ選
手になって一攫千金を狙う、というのもスポーツの一つの醍醐味かもしれない
 
 どんなスポーツでも個人の枠を超えたら『商業主義』という概念が入ってく
る。それがオリンピックのようになると需要を喚起する一種の起爆剤にもなる
。スポーツには実に様々な面があるが『人を不幸にしてしまう』面もあること
も忘れてはならない。『商業主義のスポーツ』が『自由主義のスポーツ』より
脚光を浴びてしまうのは事実だが本当に大切なのは健康らしい外見ではなく健
康自身である、ということだ。私が学校ですれ違った学生は『商業主義』もし
くは『自由主義』のどちらの道を走っているのだろうか。