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九二年度末の時点で
アジサイの広場
武照あよ高2
<img
src="http://www.mori7.com/izumi/ib/ib991101/img19991215195008.gif">
 
 
 
 黒いスーツを着て、嬉しそうに両手を挙げる三人のロッキー博物館のメンバ
ー。足元には彼らの競り落とした世界最大のティラノサウルスの頭骨が横たわ
る。
 
 この写真が新聞の一面を飾ったとき、私は心なしか競りにかけられた化石の
口元に悲しそうな笑みを感じた。実はこの化石は、当初BHIという民間企業
が所有し、研究していたものである。しかし後になって、化石が発掘された土
地の所有者であるスー族が、化石に商品価値があることを知り、自らの化石の
所有権を主張したのである。裁判所の判決は、「スー族の土地の売買は、土地
の所有者であるスー族による国への申請が必要である。ゆえに土地の一部であ
る化石の所有権はスー族にある」というものであった。しかしBHIのダフィ
ー弁護士は次のように言う。「この法律は、植民地時代にインディアンの土地
を守るために制定したものだ。状況の全く違う現在、それを掘り起こすこと自
体がばかばかしい。化石が然るべき研究団体に所有されることに何の問題があ
るというのだ。」
 
 官僚制に裏打ちされた法律などの規制は、いったん決まってしまうと時代や
状況が変化しても、それに応じた変化がなかなかできないという問題がある。
そして時に、その規制は本来の目的を忘れ、利用するものの都合の良い道具と
なる。人によって意見は異なるだろうが、恐竜化石を巡る争いは、ペーパーナ
イフが人を傷付けうる好例と、私の目には映ったのである。
 
 規制が変化しにくい理由の一つとして、規制を作り、実行する官僚制度の体
質と言うものがある。企業であれば、そのシステム自体が利益と直結している
ために、自ずから合理化が行われる。つまり無駄なシステムは切り捨てられ、
必要なシステムが採用される。だが、利益を上げることを目的としていない、
言い換えれば競争原理に組み込まれていない官僚機構ではいったん作られたシ
ステムが存続されやすいのである。
 
 それと同時に、規制と言うものがもとより維持することを目的としていると
いう面も忘れてはならない。多くの場合、必要に応じて作られるが、作られた
段階で「守らせる」事が目的となる。つまり規制は制定された時、すでに半分
は自己目的化していると言えるであろう。規制が自らを維持するために、「化
石のような」規制であってもそれを改めることは難しいのである。
 
 確かに、規制を理屈抜きに存続することは必要である。規制はそもそも弱者
を守ることを目的として作られる事が多い。そのために、作られる段階では無
理が生じることも多いのは事実である。しかし、時代が変わり、状況が変わる
とその規制が強者の理論となることがあることも忘れてはならない。元の目的
を視野に入れて、規制を「管理」して行くことが我々に求められている。
 
 裁判期間中、BHIは地元の町全体を挙げて「ティラノサウルスを解放せよ
」というキャンペーンを行なった。彼らの叫びには、古い規制からの「解放」
の願いが込められていたに違いない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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