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その広告は
アジサイの広場
武照あよ高2
 「我々は環境帝国主義の犠牲者だ。」こう言って、パンナタングの村長は顔
を曇らせた。パンナタングは十ほどのイヌイットの集落を合わせて作ったグリ
ーンランド最大の村である。パンナタングの悲劇はアザラシの狩猟禁止から始
まった。現実とは異なる「アザラシは絶滅の危機に瀕している」「生きながら
にしてアザラシの毛皮を剥ぐのは動物虐待」という名目の元、グリーンピース
や米国政府が経済封鎖に踏み込もうとしたためにアザラシをとることができな
くなってしまったのである。パンナタングの村長は続ける。「パンナタングに
は学校も教会も病院もスーパーマーケットもある。村民は生活には困らない。
しかしそれ以上に、イヌイット達の精神面での荒廃が問題だ。生業を奪われた
村民は、アルコールに手を出すものが多くなった。若者の自殺者が急増してい
るのが最も心を痛める社会問題だ」
 
 パンナタングの現状は、現在の世界の縮図に他ならない。以前、我々の社会
は労働自体が生活であり、人生であった。それが、資本主義の導入によって労
働は消費するために賃金を得る手段となり、消費によって「豊かさ」を享受す
る社会となった。つまり労働が人生であったものが、消費が人生となったので
ある。だが消費中心の社会は、豊かさを得るための手段である労働に多くの時
間を費やし、逆に我々の豊かさを脅かすと言う矛盾を含んでいる。ミヒャエル
・エンデの「下ろされることのない貯金」とは、この矛盾を表した言葉なので
ある。
 
 労働から消費へと我々の生活の中心が移ってきた背景は何なのであろうか。
それには資本主義の成立当時、資本主義と互いに支えあっていた帝国主義に目
を向ける必要がある。帝国主義は他国を植民地にすることによって、その土地
に生産工場と消費地の両方の役割を持たせた。つまりそれは生産の分業化であ
り、生産と消費の分離であった。これは過去の話ではない。アメリカ政府の他
国に対する動物保護運動は、他国の海産資源の利用を不可能にし、アメリカ資
本の拡大に見合う消費地を作り、経済的な優位性を保つ作用があるとも言われ
ている。それが、イヌイットが自分たちを「環境帝国主義の犠牲者」と呼ぶゆ
えんである。いずれにせよ生産と消費の分離と、労働の分業化は、人々の生活
の自給自足的な要素を排除する原因となったであろう。
 
 もう一つの背景として情報手段の進歩があったはずである。日本の生活の欧
米化には、テレビに写しだされるアメリカの「理想的な生活」が大きな役割を
担ったであろう。現在においても、テレビのコマーシャルは、その多くが労働
とは分離した、生活を「豊かに」する消費物なのである。この、労働によって
消費する、あるいは消費するために労働するという構図は、我々の消費中心の
生活を一層助長するものであろう。
 
 確かに消費中心の生活は多くの豊かさを我々にもたらした。生産性も、比べ
物にならないほど向上した。人間の欲を生産に組み込んだ資本主義は今の所、
最も速く、最も安く多くの物を作り出すシステムであることは確かであろう。
しかし、それは同時に人間の精神的な豊かさと矛盾するシステムであったこと
も否定できまい。
 
 パンナタングの村長はいう。「グリンピースのような団体は我々から生活を
奪った。しかし残された我々に何の保証もしてはくれないのです。」労働とい
う豊かさを内包した消費社会が、現在の我々に求められている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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