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一つの集団は
アジサイの広場
さやかあおべ高1
 一つの集団は一人の裏切り者と一人の犠牲者を生み出すことによって完成さ
れる。新約聖書によればキリストは自分を死刑にした外部勢力に対してよりも
ユダに対して緊張しあっている。その集団は外部勢力に対して拮抗することで
はなく、集団として自己完結することを選びつつあり、そのために自ら「裏切
り者」を用意してみせたのであろう。集団が自己完結を目指すのは、集団が衰
弱しはじめている証拠である。集団は常に自己完結することを目指す。一つの
集団を律する原理は、新的時代からちっとも進歩していないのかもしれない。
 
 確かに敵や裏切り者が集団の周りにいると、団結力が強まるのかもしれない
。私も学校でよくそういうことがある。友達と集まっているときに嫌いな先生
が来たりすると、その先生の悪口で盛り上がり、活気が出てくるというか、団
結するというかそんな感じになる。また、クラスの中でも、常に「○○ちゃん
とけんかしたーー。むかつくー。」といって盛り上がっている人達もいる。集
団に敵や裏切り者は必要なのかもしれない。
 
 又、世界に目を向けてみても、同じことが言える。例えば、国際連合なども
周りに敵などがいないと成立たないような存在になりつつあるような気がする
。はじめのうちは活気もあり、とてもいきいきしている集団も、日数がたつと
緊張が無くなってしまうのである。
 
 今までは、敵や裏切り者を作り出すことによって集団の活力を保ってきたか
もしれないけれど、ほかにも方法はないのだろうか。その方法の一つに相手を
思いやり、相手を理解するということがあると思う。「私達の幸福が、ほかの
人びとの不幸に支えられているのであってはならない。」と言う言葉があるよ
うに、誰も傷つくことのないように相手を思い、理解しようと努力することが
大切であると思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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