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何はともあれ
アジサイの広場
さやかあおべ高1
 クラシック音楽というものは最初から終わりまでをしっかりと聞くべきもの
なのに、最近はコマーシャルなどの短い時間に短縮されていることが多い。コ
マーシャルのクラシック音楽が現在効果を上げているのは、一曲を有機的統一
体として把握する構造的な聴き方のできない人の心の隙間をついた。しかし、
細かくカットするべきものではないクラシック音楽を切り刻むのは、クラシッ
ク音楽の入り口の妨げになっているのだ。
 
 確かにクラシックは長くて硬いというイメージが強い。最近はその音楽が意
味している思想などを考えて曲を吟味する人などめったにいないだろう。コマ
ーシャルなどのクラシック音楽や現代的な音楽はかなり気軽で簡単な存在にな
っている。それは私たち現代人の特徴でもあり、日常生活でも同じ事が言える
のではないか。なんの為に勉強をしているのかわからずにただ勉強をしたりと
、自分の感情がこもっていないかわりに少し楽で簡単な存在としてかたづけて
しまうのである。現代人にとってクラシックはクラーくてシックなものでしか
ないのかもしれない。
 
 現代音楽はリズム重視でその曲の意図などはこもっていない、堅苦しくない
ものが多いが、それはそれでぎゅうぎゅう埋めになって動き回っている現代人
にとては気軽で良いのではないか。私もすごく疲れて帰ってきたのに、クラー
イ、ベートーベンの「運命」など聞いたらさらに疲れてしまいそうである。い
ろんな面でつかれきっている現代人にとってクラシックを取り入れる余裕とい
うものはあまってないのかもしれない。
 
 人生観や思想がこもっているクラシック音楽と、軽い感じの現代音楽と、正
反対のように思われるが、それはすべてその時代時代の「人間」を相手に「人
間」が作り出したものである。「出口のないトンネルはない。」ということば
があるように意味の無い音楽などはない。そう思うと、クラシック音楽も現代
音楽もその時々の心境にあわせて聞いてみるといいのではないかと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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