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清書:自分の泉 イチゴの広場
雅貴あめす小6

 僕は、将来学校の先生になりたいと思う。しかし学校は、学校でもいろいろ学校がある。その中でもなりたいのは、小学校の先生なのだ。理由は
、五年生の頃すごく善い先生に出会ったからだ。すごくおもしろいが、時には厳しい先生である。小学校の内容だったら、ばかな人でもある程度勉 強しておけばなれるというような気があるからだ。でも現実は、もちろんそんな簡単なことではない。元担任の先生に、「学校の先生になりたいな ぁ」と話していたら、「いま現代試験は結構難しいぞ」と言っていた。さらに「野口(僕のこと)のクラスの担任の先生は、いま現代の試験を受けて 合格した先生だから賢い先生だ」と教えてくれた。元担任の先生に、「じゃあ、今、先生が試験を受けたら、合格できる?」と聞いたら「いやわか らない」と聞かせてくれた。だから余計に小学校の先生を標的にして、難しい問題を解いてやりたいと思った。  

 「生活と人生は同じようで、実は大いにちがうんだね。多くのオトナは生活のほうを選んでしまう。大学を出て就職してマイホームをつくり、子
どもを育てる。もちろんこうした生活は大切なことだ。しかし、その生活のために、せっかく掘り当てた自分の泉を涸らしてしまう人が多いんだね 。」という文があった。でもこのことについて僕は違うと思った。何が違う。それは、自分が掘り当てた泉を涸らしているのではない。涸れないよ うにして別の道を歩んでいるのだと思う。  

 人は、生まれながらに夢を持っている。それは泉でありその泉を掘り当て、泉の中に自分の夢があるのだろう。
 

 
 

 
 

 
                                               
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