先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
だ」と教えてくれた。元担任の先生に、「じゃあ、今、先生が試験を受けたら、合格できる?」と聞いたら「いや わからない」と本音を聞かしてくれた。だから余計に小学校の先生を標的にして、難しい問題を解いてやりたいと 思った。 「生活と人生は同じようで、実は大いにちがうんだね。多くのオトナは生活のほうを選んでしまう。大 学を出て就職してマイホームをつくり、子どもを育てる。もちろんこうした生活は大切なことだ。しかし、その生 活のために、せっかく掘り当てた自分の泉を涸らしてしまう人が多いんだね。」という文があった。でもこのこと について僕は違うと思った。何が違う。それは、自分が掘り当てた泉を涸らしているのではない。涸れないように して別の道を歩んでいるのだと思う。 人は、生まれながらに夢を持っている。それは泉でありその泉を掘り当て 、泉の中に自分の夢があるのだろう。 難しそうでも、小学校の先生になりたいというような夢や希望を持つこと は大事なことだと思う。それによって、毎日過ごす時間が変わってくるような気がします。やってみないとわから ないことがいっぱいあるのに、何でもやる前にあきらめてしまうのはもったいない・・・です。ほかのどんな職業 も同じかもしれないけれど、賢いこと(試験で点数が良いこと)と、いい先生になる(いい仕事ができる)という こととは別だと思う。例えば、勉強で苦労した経験のある先生は、生徒の気持ちがよくわかって教えるのが上手と いうこともあります。雅貴くんは、どんな先生にあこがれて、どんな先生を好きになる?賢い先生とは限らないん じゃないのかな・・・?どの世界でもけっして点数でははかれない人間的な部分が案外大切だったりするものです 。そしてそれは机の上の勉強だけではなかなか身につかないのではないでしょうか。何のために勉強するのか、ど うして先生になりたいのか、どんな大人になりたいか、自分の泉はどこにあるんだろう、そんなことをいっぱいい っぱい悩んだり考えたりするのが、今の雅貴君にとって一番の勉強かも・・・。★本音を聞かして→聞かせて 次 回は、「勉強」について書いた文です。勉強といえば、すぐに思いつくのが試験勉強ですが、先にも書いたように 机の上でするものだけが勉強ではありません。いろいろな勉強について書いてもいいですし、好きな勉強や嫌いな 勉強という書き方もできそうです。今回のように将来の夢と結びつけて書くこともできそう。要約については、最 初にまとめて書くことにこだわらなくてもいいと思います。(もちろん、そうしてもいいですが)要約は、清書す る場合には省いてもらうもので、なくてはならないものというわけではないからです。文中に必要な内容だけをと りあげて書いていくほうが流れとして書きやすい場合もあります。ただ、最後には全体的に大きくとらえた意見や 感想が書けるといいなと思います。12月3週   苦痛なる学習  野口雅貴 ぼくは、よく母に「勉強しなさい( 努)」と言われる。その時だいたい気が抜けた返事をする。「ふぁ~~い」なぜそのような返事をするのかそれは 、だいたい検討がつく。「勉強」がいやだからだ。でも良い「勉強」もある。八百屋さんがおまけをしてくれる意 味だ。八百屋さんがおまけしてくれる意味と学習するという意味の二つ種類がある。だから学習する方の「勉強」 は「学習」と呼ぶように変えれば良いのだ。そうすれば「勉強」じゃなくて「学習」だと言ってたくさん勉強じゃ なくて学習をするかもしれない 母は、よく「勉強しなさい(努)」と怒るが長い時にはさらに話が続く。「お母さん が子供の頃は、親に勉強しろなんていわれたこと無いわ」といつも同じ話なのだ。でもいつも思うことがある。母 の母(おばあさん)はよく病気をしていたと言っている。だから病気ばっかりしていたから、しんどくてそんなこと を考えていなかったのじゃないかと思う。「「勉強」とは、それ自体が目的ではなく、あくまでもそこへ行きつく ための手段にすぎません。手段を目的とかんちがいするときに「勉強」は単なる苦痛の種になってしまうのだと思 います」という文があるが本当にそのとおりだと思った。だから自分の目的によって人とする勉強は違うのだ。あ の人がそうしているから自分もそうしようとすると、自分のしたいことではない為に勉強が苦痛になってしまうの だ。でも自分もそのようになってしまいそうだ。しかし母が自分の道を正してくれているのだと思う。 僕達にと って勉強とは、自分の目的に向かう手段に過ぎないものである。しかしだからといって手を抜いたりしてはいけな い物だ。生徒:木曜 mako先生 amesuさん 問題:◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎課題:063123(12.3週)  投票:さん 自習:6日 時間:50分字数:703字 評価: 構成  題材  表現  主題  学習と呼ぶように すれば、もっと勉強(学習)するようになるかもしれない、という考えはおもしろいね。確かに「勉強」というと 本文にあるように何かを無理じいするいやな印象があるから、本当にそうかもしれない。本来勉強というものは、 自分が知りたい学びたいという気持ちが先にあるべきなのに何だかわからないままとりあえずみんなと同じように

「やりなさい」と言われても喜んでできるものじゃないよね。ふしぎなことに大人になってから知らないことを勉
強しなくちゃと思うときは、それほどいやなイメージはないように思います。やっぱりやらされるのでもなく試験 みのり先生(まこ
ホームページ