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自ら積極的に勉強は アジサイの広場
田鳥倉部あゆと小6

 みなさんは小学校時代を通じていろいろなことを学び、そして、さらにこれから中学校に進学して勉強をつづけようとしています。それでは「勉
強」とはどのようなもので、何のためにするものなのでしょうか。  

 「勉強」とは、それ自体が目的ではなく、あくまでもそこへ行きつくための手段にすぎません。手段を目的とかんちがいするときに「勉強」は単
なる苦痛の種になってしまうのだと思います。  

 大切なのは、何のために学ぶかです。したがって、学生時代とはこの課題を「勉強」を通じて考えていく、いわば自分探しの旅の始まりにもたと
えることができるでしょう。  

 僕は、どっちかというと勉強は嫌いだ。なぜかと言うと。生きていくうちに当然のように年齢が上がっていく。それにつれて、勉強も連れて難易
度も増していく。だから、勉強中心に生きていくと考えるときが遠くなる。あと、自分の時間も削られるからだ。  

 でも、結局勉強をしないといけないのである。僕は、二年生の時に、初めて「塾」と、言うものを知った。
 

 当日、びくびくしながら塾へ向かった。向かった先では、入試試験が有ったでもびくびくはしなかった。
 

 それから、二年間の勉強が続きいろいろと実った。しかし、その塾だと勉強が間に合わない。と、いうことになり新しい塾に入った。でも、なか
なか慣れることができなかった。で、今は、勉強に一番悩んでいる時期かなぁと思っている。うちに帰って、夜寝る前に椅子にすわって机によく向 かう。でも、眠たい僕にとっては一番やなことだ。次の日、強制にやったせいなのか成果は現れなかった。でも、逆に真剣に覚えたり書いたり読ん だりすると、次の日に成果が現れるのであった。だから、やる気がないときに続けても意味がない。だから、真剣に短時間で終わらせよう。  

 昔は、勉強のことはほとんど考えていなかった。その時は、遊ぶのが勉強だったから。と、考えている。
 

 今回のことわざ
 

 論語読みの論語知らず・・・だから、いくら死ぬほど本で勉強したと言っても、現実に生かさないと本で読んだ意味がないということ、で、例として
はかっこをつけていても結局かっこつけになっしまうということ。  

 人間にとって勉強とは、強制的に押し付けてやることではなく、自ら積極的にやって覚えることだ。(笑) 
                                     
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