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自己を大切に.. アジサイの広場
由希子あとえ中2

 欧米人「いいえ」をはっきり言うが、日本人は「いいえ」をはっきりいうことをためらう。欧米人の「いいえ」は、事実に対して向けられている
が、日本人の「いいえ」は話し手の意向に対して向けられている。日本人の表現仕方は外国人には理解しがたい。  

 文化の違いを理解することも必要だと思う。
 

 中学校には、英語の先生として外国人の先生が1人はいると思う。私の学校では、その外国人の先生が普段の授業をしてくれるというのではなく
、日本人の英語の先生もいて、その先生が授業を教えてくれる。じゃあ、なぜその外国人の先生がいるかというと、イギリスやアメリカ(英語だか ら)の文化の交流をするためである。ハロウィンやクリスマスの写真を見せてくれたり、英語で歌を歌ってみたり、クリスマスカードを書いたりと ほとんど遊びのような授業をする。その外国人の先生と接することで、外国に行かなくても、自然に文化の違いを理解することができるのだ。そし て、その文化の違いに気付くこともとても大切なことなのである。  

 しかし、これからの国際化時代では、日本人も事実の基づいて「いいえ」をはっきり言うことが必要だという意見もある。
 

 国際会議という会議がある。その会議は、色々な国から大統領、総理大臣など、国のトップが集まって、環境破壊などについて話し合う会議であ
る。そう言う会議で、日本語のように相手の気持ちを考えて遠慮がちに物を言うというのは良いとは思わない。なぜなら、ハッキリ物を言わないせ いで、自分に不利な条件になったりすると思うからだ。昔、井伊直弼が結んでしまった日米修好通商条約だって、きっと日本人がハッキリ物をいわ なかったせいで不平等条約になってしまったんだと思う。だから、日本人だって物をハッキリ言わなきゃいけないと思う。  

 確かに、欧米人の考えもわかるし、日本人の考えも分かる。しかし、1番大切なことは自分を失わないことだと思う。国語の授業で、方言につい
て学んだ。そのときに、先生が最近、方言を話す人が減ってきたと言っていた。都会だと色々な地方から働きに来ていたり、勉強しに来ていたりす るから、方言だと言葉が通じにくいかららしい。でも、完全に方言が無くならないのは、みんながみんな自己を失ったわけではないからである。日 本国民全員が、方言という自己を失ったら、それはそれはむなしいことだと思う。このことは、外国語と日本語との違いに対しても言えると思う。 もし、日本語がなくなって、英語やフランス語やイタリア語などを話すようになったら、どうだろう?みんな母国語を話さないないなんて言う悲し い事態になってしまう。やっぱり母国では、母国語を話したいと思うにちがいない。だから、自己を失わないことが最も必要なことではないのだろ                                                
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