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清書:真似る アジサイの広場
ピエッパにお中3 日本では昔から「守・破・離」という発展段階があった。それは、日本人には徹底して「真似る」=「学ぶ」という姿勢できたからだ。しかし、日 本人は「物まね上手」といわれることに、過度のコンプレックスを抱いている。でも、そんな必要は全くないのである。なぜなら、しゃべったり書 いたりなどの動作は親から真似たからだ。はじめは、「パパ」「ママ」から始まり、しだいに言葉の語数が増えていく。これはすべて真似ているの だ。このように、真似から発展する例はたくさんある。では、どうすればうまく真似を使えるだろうか。  

 それには、まず真似をすることを恥ずかしがらないことが大切だと思う。例えば、英語の授業の時にいえると思う。日本語を主に使っている日本
人にとっては、なれない英語を話すことはすごく恥ずかしい。だけど、恥ずかしがらずに、先生の口調をできるだけまねて言えば、英語の発音はぐ んと良くなることだろう。  

 次に、真似した上にもっと自分で工夫して、付け加えて見ることが大切だ。例えばスポーツでも、先輩のしていたかっこいいプレーを真似ようと
しても、はじめはうまくいかない。だけど、自分で工夫して、だんだんそのプレーに追いついてゆき、さらに付け加えて追い越す。このような  

 「追いつき追い越す」
 

 の精神が必要なのである。
 

 確かに、真似をうまく使うには、かなりのエネルギーがいる。でも、真似は日本の大きな特徴の一つである。コンプレックスなど抱かずに、真似
をうまく使うことが大切なのである。                                                
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