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日本人に足りないもの アジサイの広場
AE86えや高2

 日本とはくらべものにならない社会的共通資本の威力をかんじるのは、交通費の安さである。市中の交通は片道百十円のキップで、地下鉄、市電
、市バスのどれにも乗りついで目的地までいくことができる。交通費にわずらわされることのない人間の自由な移動が、どれほど大きな生活の安定 と平等に寄与していることか。  

 日本という国においての父親の働き(?)というのは、ほぼ100%「生活費捻出」だと思う。平日は子供が寝てから帰ってきて、起きる前に出掛け
てしまう。そしてたまの日曜日は子供と遊べずに、普段の仕事の疲れをとるといった具合である。これはコミュニケーション不足だと思う。しかし 、アメリカやヨーロッパは違う。アメリカやヨーロッパでは、父親は昼間から帰ってきて子供と遊んでいるらしい。しかし、なぜ日本はアメリカや ヨーロッパに比べて日本が「家庭」よりも「仕事」を優先させてしまうのであろうか? その理由として、私は「高度経済成長期」の引きずりが関 係していると思う。戦争において、日本は「敗北」という形で幕を閉じた。そこから先、日本という国を復旧、そして今まで以上に伸ばすために父 親を働かせすぎてしまったのだ。おそらく、それまでは「time is money」という言葉は存在しなかったはずである。  

 人生には絶対「ゆとり」が必要である。しかし、今の日本人には「ゆとり」が足りてない。人間でも機械でもそうであるが、限界地点で働き続け
れば、普通に働いていたのでは出ないような不具合も発生してくる。言い過ぎかも知れないが、それが人間であれば「過労死」であり、機械であれ ば「故障」なのである。このように、機械と人間は共通する部分は多いものの、唯一共通しないものと言えば「命の有無」である。私はクルマが大 好きであるため「走っていて、クルマと会話ができる」という考えが痛いほどよく分かる。しかしそれは、所詮は人間が作り出した鉄の固まりであ る。壊れて動かなくなってしまった部分があるのなら、その部分を取り替えれば良いのである。そこが人間との大きな違いである。確かに私も毎日 毎日、朝6時に起きて学校へ行き、夜は8時過ぎに帰ってくるという生活を繰り返している(家にいるよりも学校にいる時間の方が長い)。その影響 かどうかは知らないが、最近頭の回転が遅くなってきた気もする(笑)。  

 現在の日本人が好む「癒し形グッズ」というものが流行っている理由を考えてほしい。それは、人間が本能的に求めてしまっているのかも知れな
い。これからは、そのようなグッズを使わなくともリラックスできる社会環境に変化していってもらいたい。  

 
                                                 
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