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先進諸国の課題 アジサイの広場
杉田大岳うい高2

 ドイツには日本と比べようもない。社会的共通資本がある安い交通費に、採算を考えないバスの夜間運行、救急患者に備えて夜中待機する医師の
姿。それは大きな生活の安定と平等を寄与している。それらのことにより、一日の中に、労働と文化生活と家族の団欒の三つが並行して行われるゆ とりがある。私は、日本がそれを成し得てないのは、日本にこれからの社会に対する新たな展望がないのが問題だと思う。  

 その原因としては第一に、日本の態度だ。わが国においては、資本の拡大こそ最大の社会貢献であると考えられている。そのため、たとえそれが
人間的な社会においては必要であるものであっても、経済的な社会において不利益であると見なされれば、切捨てられてしまうことが多分にある。 その一端が福祉だ。現在は徐々に整備されつつあるが、その根本にある考えかたは、世論に押され執るべき道が他になかったので仕方なく、という ものだ。これらのような、資本主義か社会主義か、福祉しなくてはならないのか、しなくていいのか、という二極的で強固な主義のない態度では、 なされるべき新たな道は見出せない。  

 また第二には、急速な欧米文化の吸収だ。戦後当時の日本は先進各国の技術を吸収するのが急務であった。吸収は模倣という形によってなされた
。しかし、技術はともかく、何千年もの時を経て発達させてきた欧米の文化を、数十年で本質的に定着させることはできなかった。にも関わらず、 非常に目覚しい経済的発展により、その文化の本質をも理解したという錯覚は、輸入文化そのものを日本の文化として主張しだすにまで至らせた。 そして、輸入文化に味を占めた日本は、独自の文化の精進を怠けるようになった。  

 日本に求められていることは、現状にあるものを選択するのではく、独自に構築していくことだ。確かに戦後直後の日本は確立されていた欧米の
モノを選択することで、今日のような、当時では考えられない物質的豊かさを生んだ。しかし、それによってようやくスタート地点に立ったばかり で、新たなものを考え出さなければならないことに気付き、それを実行しなければならないのだ。  

 
                                                 
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