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ピカソ PART2 アジサイの広場
あおき高3 ★問題★  

 
 

 ピカソの『泣く女』は醜態ではないか?輪郭にしてもリズムや色彩にしても我々の目に会館をもたらす類のものではなかろう。引き裂かれた恐ろ
しい顔、悪趣味な髪や帽子やブラウス、味気ない部屋。現代の都市にあっては多かれ少なかれ醜悪なものに覆われているわれわれだが、それをなぜ 芸術の中にまで持ち出さなければならないのか。現代芸術は、われわれの空間を忌まわしい事物で満たそうとしているかの如くだ。今日の芸術の中 には、美に対するある種の嫌悪があるのではないか。  

 
 

 という文章をよんで、自分の意見を述べよ。
 

 
 

 という、先日の問題に再度チャレンジしてみました。今回は課題に忠実に書いてみたのですが、どうでしょうか?やはり、前回と似ているでしょ
うか?  

 
 

 今日の芸術作品の中には、この絵を始めとして見ているだけで悲しくなるようなものが多い。そしてそれは少なからずの寂しさや不安を与えるか
もしれない。筆者は、このなんとも言えない不安を一言で醜悪と表し、その一例としてピカソの絵を挙げているのである。しかし、果たしてこれが 本当に醜悪だといえるのであろうか。  

 絵画に歴史的事実を取り込む作業は、ピカソの”ゲルニカ”やゴヤの”5月3日”から始まった。実際に見た事件や、新聞を通して知らされる詳
しい戦況を自分の感想を添えて絵に託したのである。そして、この頃から芸術作品とはただ美しいだけではなくなったのだ。これは絵画に関する一 例ではあるが、芸術作品とはえてしてそのようなものである。芸術家の心に響く”何か”を作品に命を与えることで表しているのだ。この絵もそう である。ピカソが感じた想いがこの女性に直結しているに過ぎないのだ。  

 芸術家が、持てる力を発揮して何かを訴えているとき、そのものが美しくないことが問題になるだろうか。美しくない芸術作品には、それなりの
芸術家の主張がある。”もう二度と起こって欲しくない”、”こうするべきではない”そう、訴えているのだ。このような醜悪といわれる芸術を避 けることよりもむしろ、この文字のない芸術家の歴史書を読み解くことこそが、人間の自滅を救うのではないだろうか。                                      
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