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芸術への道 アジサイの広場
あおき高3 ☆もう1つ書いてみました。これも・・・書いてみて不思議な感じ。(苦笑)難しいです。  

 
 

 ★問題★
 

 
 

 ピカソの『泣く女』は醜態ではないか?輪郭にしてもリズムや色彩にしても我々の目に会館をもたらす類のものではなかろう。引き裂かれた恐ろ
しい顔、悪趣味な髪や帽子やブラウス、味気ない部屋。現代の都市にあっては多かれ少なかれ醜悪なものに覆われているわれわれだが、それをなぜ 芸術の中にまで持ち出さなければならないのか。現代芸術は、われわれの空間を忌まわしい事物で満たそうとしているかの如くだ。今日の芸術の中 には、美に対するある種の嫌悪があるのではないか。  

 
 

 という文章をよんで、自分の意見を述べよ。
 

 
 

 確かに彼女は泣いている。寂しそうな瞳でじっとこちらを見つめ、狂おしい程の心の内をあえて飲み込み我慢している。一言でも口に出してしま
えば発狂し、我を失ってしまうのだろうか……、歯を食いしばって耐えている様である。  

 今や我々は、あまりにも恵まれていて物事のよさをうまく語れない。全てが当然のもので、周りの人となんら変わりのない生活水準であるからだ
。そんな中に我々は投げ込まれた。一見して、楽しい事だけを求めればいい世界は、愉快にも見えた。しかし、実はそうではない。安楽が続けばそ れは平坦な道に変わってしまうのであった。  

 山もなければ谷もない道は、ひどくつまらない。そればかりか、楽に過ごしてきた私にとって、探求心も乏しいせか、やりたいことすらはっきり
と答えられない。そこで我々は心の奥底で考える。考えるつもりはなくても、感じている。相手を落とす手立てはないものか……と。人の心理は意 外と簡単なもので、個人の価値観の中ではあるが、自分より上の人がいるから悲しいと思い頑張るし、下の人がいるからこそ気分が良くなると同時 にまだまだ不満足である自分を保つことが出来るのだ。とすると、少なからずの罪悪感を生む。 そこで、ある種の芸術家がこうして澱んだ空気を 芸術に憑依させたのかもしれない。美に対するある種の嫌悪があるのではない。美が人間に対する嫌悪を表しているのだ。   

   
                                   
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