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無意味な噴水のわけとは
アジサイの広場
SMILEY(^o^)あるわ小6


 噴水は飲むことも、浴びることも出来ない水である。しかも、その水は何ものも潤さない。言ってみれば、なんの役にも立たないものなのだ。夏
の日照りが続き、都市によっては噴水の水を停めてしまうところがあるが、それは噴水の役割を否定するものだ。噴水に見ているものを楽しませよ
うとする工夫をるのもよくない。噴水は、ただ水を噴き上げていればいいのである。
 


 私の学校の裏庭にもほとんど役にたたない、池がある。池といっても小さくて、結構深い。池の水はすっごくにごってって、まるで池というより
沼である。
 


 そこにはザリガニがたくさんいるので、三年ほど前はみんなザリガニをとったりして遊んでいたが、ザリガニに夢中で池に落ちる人が増えた。そ
れで、今は池で遊ぶのが禁止され、今では誰も近寄らない。私は
 


 「ほとんど役にたたない、池なんて壊してしまえばいいのに、どうしてほったらかしのままなんだろう……」
 


 とその池を見るたびに思う。
 


 ことわざで
 


 「角を矯めて牛を殺す」
 


 というように、一部の欠点を直そうとして度をすごし、全体をだめにしてしまうことがある。だから、役にたたないからといって切り捨ててしま
うと、一番大切なものを見失うことになりかねない。
 


 またことわざで
 


 「無用の用」
 


 というように、世の中で役にたたないと思われているものが、かえって非常な働きをすることもあるのだ。噴水とは人間にとってほとんど役にた
っていないが、それはそれでいいのではないか。そこから、いろいろな発想や想像が生まれるかもしれないのだから……。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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