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なぜ弁護士はあんなに儲かるのか
アジサイの広場
横浜太郎あわか高1


 小学生のころ、なぜだか分からないが、「訴えるぞ」というのがはやったときがあった。例えば、友達にバカにされたときなど「名誉きそんで訴
える!」とか言っていた。今考えると、訴えることの意味や重大性も知らず、半ば冗談で言っていた自分が恥ずかしくなるのだが、しかしどうして
提訴ということが出てきたのか、それはわかったような気がする。すなわち、学生、特に小学生は力のあるもの、能力の高いものが結局勝つ社会な
のだ。つまり、口の達者な者、喧嘩の強い者、権力(?)を握っている者などが勝ってしまうのだ。また、上に喧嘩の強い者と書いたが、いくら小
学生といえどもむやみやたらに殴ったり蹴ったりしたらいかん、という事ぐらい分かっているから、物理的な力は脅しにしかならず、結局は口の達
者なものが勝つ傾向にあった。ご存知の通り、小学生には一般理論は通用しないことがほとんどだ。「バカといったらカバになる」という意味不明
な小学生理論が出てくるわけだが、こんな“理論”でも口の達者な奴が言うと本当っぽく聞こえるから面白い。では、そんな口の達者な者に勝つた
めにはどうすればよいか。答えは、口の達者な奴も答えられないほど“理論的”で、合理的なものに頼るしかない。それが僕達の場合は、『法律』
 


 今までの経験上、興奮状態で始まったいざこざが沈静化して解決することはないと思う。必ずエスカレートし、悪ければ殴り合いのケンカになっ
てしまう。そんな時、曖昧なまま終わらせてお互いに嫌な思いをしながらその後を過ごす、という事も可能であろう。しかし、なんとかして解決さ
せたい。そんな時、裁判所ではないにしても第三者(機関)に頼るのではないか。それが友達であったり、親であったり、先生であったり。自分も
中学のとき、友達とけんかをしたときはよく他の友達に解決策を求めたものである。
 


 「そんな第三者に頼らず、当事者同士で話し合いをするのがよい」という人がいる。確かに、理想論としてはそれがベストであろうし、当事者同
士もそれを望んでいるに違いない。しかし、それが無理だとわかったとき、第三者に頼るしか方法がないのがほとんどだと思う。現に、国家レベル
でもパレスチナ問題などで第三国が仲裁(仲介?)をしていることは周知の通りである。
 


 やはり、問題は起こさないに越したことはない。いくら裁判で勝訴したとはいえ、必ず苦い思い出などは残るはずである。だから、わざとぶつか
らない、なるべく素直に応じるなど努力をすれば、争いはほとんど未然に防げるはずである。しかし万一起きてしまい、当事者同士での解決が困難
なときに、第三者に頼りすぎずに頼る、こういう姿勢が大事だと思う。しかし何度も言うように、争いは未然に防ぐこと、これが一番大事であると
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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