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清書:清書
アジサイの広場
ひまわりあなつ高2


「競争すること」は、ものすごく良いことであるのは知っている。例えば、私は競技スキーをやっているのだが、スキー部内の、自分と同じくらい
の技術をもった友達どうしでやはり競い合っている。相手がほめられれば、悔しくて自分ももっと上手くなってやろうと頑張る。そうやってお互い
を刺激しあい、お互いを高めていくことができるのだ。競争とは人を高めていくのに必要なものなのだ。しかし、だからといってその競争に打ち勝
つのならどんな状況でも良いと考えるのは間違っているのだ、という筆者の意見に私は賛成なのである。例えば、二週間前にスキーを始めたばかり
の人と、もう幼いころからスキーをしている人との間でさえも競争をするのは、いくらなんでも不公平で納得いかない。競い合うためには、スター
 


 ☆
ではどうしたら、上手くお互いをより、高めていくことができるのだろうか。やはり全体の調和を保つことが大事なのである。要するに相手を思い
やることだ。前例での、幼いころからスキーをやっていた人が当然のように、始めたばかりの人に勝ったとき、そこで前者は後者をつぶすのではな
く、威張り散らすのではなく、公平に評価をしたりするべきなのだ。筆者のあげた例でも、日本は努力して成果を出したのだろうと思うが、ヨーロ
ッパ諸国はその国なりの色があって、文化も考え方も日本と違うのに、日本と同じように戦えというのは、かなり無茶なことなのだ。そこを理解し
 


 ☆競争とは、前にも述べたが、お互いを高めるためにはすばらしいものである。よって、ライバルというものが出現するのだ。正直、スポーツで
競うとき、相手が足を怪我していたら、なんだが公平に競えなくて嫌である。こう考えることが正しいことで、この状況で、自分が必ず勝てる!と
喜ぶことは、競争の意味を取り違えている。自分だけの利益を求めて競うことは間違いであって、実際はどんなときでも相手を思い、お互いが両方
ともよりよく成長していくことができるものが競争なのである。
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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