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清書:栄光の背番号59 イチゴ の広場
おこじょ あめお 小6

 「Trrrrr」
 

 「はい、横浜国立大学です。」
 

 「あの〜、オリックスブルーウェーブの球団事務所ですが…」
 

 「!!!」
 

 「そちらの大学の北川智規君をオリックスでドラフト7位で、私達の球団でドラフト指名したいのですが…」
 

 「やったあああああああああ!!!!!!!」
 

 多分そのように球団から連絡があったのだろう。その瞬間、大学生、北川智則はプロ野球選手になった。
 

 5年生の時だった。僕の学校は横浜国立大学の教育人間科学部とつながっていて、校名も『横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉小学校』といい、日本で
1番長い校名らしい。この学校は、毎年のように学校の先生になろうとする大学4年生が教育実習にくる。その先生の中にいたのが、北川先生だった。北川 先生は自己紹介の時、  

 「自分は、北川智則といいます。」
 

 と自己紹介をし、生徒の中で、大流行…とも行かなかったが、少し流行った。北川先生本人の前で、その「自分は、北川智則といいます。」の真似をしてを
して、怒られている生徒もいた。もちろんその頃、北川先生がプロ野球にいくほどの腕を持った大学野球選手だったことなど、だれも知らなかった。  

 北川先生は、体育を中心に授業をしていた。その頃体育でやっていたリレーなどについて、また、その他算数や国語でもとても面白い授業をしていた。そ
してある日、北川先生が大学の野球選手だ、という事を知る日がきた。 その日は、「千倉の生活」という宿泊生活の当日の事だった。この学校は1年生から 6年生まで、年に1回宿泊生活がある。それで5年生は千葉県の千倉に行くのだった。普通、教育実習生は原則として、宿泊生活には同行する事になってい た。しかし、僕のクラスにの、4人の教育実習生のうち、半分の2人しか来なかった。 1人は森屋先生という、ごく普通の先生だったのだが、先日の一日 担任の準備におそらく徹夜し、5,6時間目の学年集会の時に『バタン!!』倒れてしまい、そのまま担架で保健室まで運ばれ、千倉の生活の当日も休んで いた。お別れ会の日に、目の下に「くま」を作って出席していた。そのお別れ会の話はまた後で話そう。  

 そしてもう1人が、北川先生だったのだ。当日、千倉に同行した実習生に、なぜ北川先生が休んだのか聞いてみると、実習生はこういった。 「なんか、大
学野球の試合に出たらしいよ。何でも、北川先生はエースピッチャーなんだって!」 その時から、北川先生がプロ野球に入れたらいいなと思っていた。が、 いくらなんでも学校が横浜国立、何が何だってプロには行かないだろうとも思っていた。  

 それから4ヵ月ほどたった11月、僕は、毎月定期購入している『月間ベイスターズ』の11月号好例企画 〝あの子が欲しい〟という企画を読んでいた
。これは、読者がプロで通用するぐらいの、高校、大学、アマチュアの選手で「この人をベイスターズのドラフトで指名しよう」、という人を紹介するコー ナーだった。そこに北川先生の名前があった。それから5日ほどたったであろうか。その頃、朝日新聞でも、アマチュアの目玉選手を紹介するコーナーがあ った。少し前に見た時には、何人かの高校生の名前が載っていた。次の日、きのうが高校生ならきょうは大学生かな、北川先生は何人かの中に入っているか な、と期待していた。そして朝日新聞のスポーツ面を見た。すると、 [横浜国大 北川智則]と写真付きででかでかと載っていた。その記事によると、ま ず北川先生は国大に入るために2浪していた。さらに、あの教育実習のことで鎌倉から、独り暮らしをしているアパートがある保土ヶ谷まで、終電に乗って いたこともあったらしい。そんな日々が続きながらも、野球の練習はずっとやっていたらしい。さらに、野球の試合でも3回もノーヒットノーランを記録して いたらしい。ノーヒットノーランとは、ヒットを打たせないで  

 、得点もさせないことで、相当の腕を持たないと出来ない記録である。更に、北川先生の活躍で、大学も30年ぶりの優勝をしたらしい。その記事を見て、
北川先生に、プロに入ってがんばって欲しいという気持ちとプロに入れるという気持ちが、また一回り大きくなった。そして そして2000年11月17 日(たぶん…)のドラフト会議で北川先生がドラフト7位でオリックスブルーウェーブに入団した。背番号は『59』。ただの59番なのに、その59の文字 が巨人軍の長島監督の『3』より憧れの背番号になった。 そして2月18日、僕は横浜スタジアムに野球を見に行った。しかもベイスターズ対ブルーウェ ーブだった。試合開始の1時間ほど前に球場についた僕は、友達と一緒にオリックスの練習を見ていた。僕は気がついた。  

 「北川先生を探さない?」オープン戦では、北川先生は一軍の試合に中継ぎで少々登板していて、、この日もおそらくベンチ入りしているだろう…という流
れだった。オペラグラスで『59』を探す。 「あっ!!59発見!!!」北川先生はライトのポールの下からレフトのポールの下まで走っていた。一塁側に 座っていた僕は、北川先生はおそらくまたレフトからライトまで走ってくると予測し、ライトのポールのところまで移動した。北川先生は、こちらの予想ど うり、ライトまで走ってきた。僕はその時、北川先生と、少しだけ話した。 その日の試合は1回のオモテにオリックス谷の3ランが出ると、ベイスターズ が追いつくや話されるやで、7対4でオリックスがリードしていた。試合は6回のウラになった。横浜はオリックスの中継ぎ投手を打ち込み、一気に7対6 まで追い上げていた。ここで内野がマウンドに集まり、仰木監督が審判にピッチャーの交代を告げた。まさか…  

 「オリックス、ピッチャー大久保に変わりまして、北川。背番号59。」ついに北川先生がついに、僕達の前で投げる。2死ながら満塁だった。まるで、
神様がくれた絶好の場面のようでもある。バッターの相川は、一球目の球見送りストライクを取られると、2球目を打ってショートゴロになった。 北川先 生が投げたのは、その2球だけだったが、嬉しかった。 人間に、一人でも、北川先生のようなヒーローがいると、とても幸せになれるような気がする。  

 
                         
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