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貧困をみる目 アジサイ の広場
稔央 いつや

 貧困を見る先進国の目は残酷である。一般的に貧困であることは悪とされる。反対に、豊かになればなるほどよいとされる。この常識は一見すると普遍的
なもののように感じられるが、実はそれは経済的に豊かなごく小数の国で通用するものであって万国共通のものではない。それどころかその視線は貧しい者 への理解と敬意を欠いた思い上がりである。  

 例えば先進国の人間がフィリピンでゴミを拾って生計を立てている子供たちのテレビ番組を見ると決まって口をついて出る言葉が「かわいそう」である。
彼らが心の底から貧しさに対する哀れみを感じていたとしてもそれは基本的に勝者が発する余裕の言葉である。それはいくら見栄えのいい善意のベールで覆 い隠したつもりでも隠せない。さらに、彼らを救ってやるにはどうしたらいいだろうと考えてみて決まって出てくるのは「もっと国が豊かになればいい」で ある。自分たちの従っているルールこそが最高なのである。そして不幸にもそうなれなかった国の人々は哀れなのである。これこそ傲慢な偏見ではないだろ うか。  

 実際、ゴミを拾うフィリピンの少年達の生き生きとした表情と、緩みきった自分たちの表情とを見比べてみればどちらが幸せかは一目瞭然である。フィリ
ピンの少年達は生きているという実感を手応えを持ったものとして日々感じているのに対し、一方で幸せなはずの先進国の人間の多くは必要ないほどの多種 多様な家電製品に囲まれながらもどこか空虚感を感じている。それにもかかわらず貧しい国を自分たちの勝手な基準で裁いているのである。  

 先進国の人々は豊かさに変わる新しい幸せの基準をもとめなければならないはずなのに、いまだに見つけることができずにいるように見える。それは豊か
になることが幸せになることだという思い込みに捕われているからである。  

 
                                                 
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