先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
科学の進歩とインタープリターは反比例? アジサイ の広場
AE86 えや 高2

 科学が人間にもたらすものには多かれ少なかれ必ず明暗両面が存在する。前世紀末のダイナマイトの発明者ノーベルの苦悩に象徴されるように、これは決
して最近始まったことではない。しかし、過去数十年の科学技術の進歩はあまりにも速く、人間と社会とに軋轢を生じてきている。不可能が可能になり、ま た、より多くのことが明らかになってきた一方で、ものごとの本質は単純ではなく、シロかクロかを言い切れないことも明らかになってきた。  

 私が考える「シロともクロとも付かないこと」は、ズバリ「脳死」の判断である。果たして、心臓が完全停止した地点で脳死と判断してしまって良いのだ
ろうか? パッと見、素人目には分からない質問である。こうした自体を少しでも緩和(?)させるために「インタープリター」が必要となってくるのだ。し かし、このインタープリターが少ないのも事実である。その理由として真っ先に挙げられるのが「学校での理科教育のやり方の問題」である。私は理科系が 最も苦手な分野に分類されるからよく分かるが、学校の理科の授業というのは面白味に欠けるのである。私が理科の授業で面白いと感じたのは、理科室や屋 外での実験以外にはない。また、数学の方にウエイトが偏るのだが、特に出来たからと言って日常生活に役に立たないと思われるのだ。その逆で文系ならば 、生活の場面で活躍できるものも多い。こうした考えを持っている人々が多いことからインタープリターは少ないのだろう。しかし、人々は「シロともクロ とも付かないこと」について知りたがる場面も多くある。  

 もし、あなたが片言の英語も喋れないとして、日本語が全く話せない外国人と出会ってしまい、道を聞かれたらどうするだろう? こうした時に「インタ
ープリター」である同時通訳士が必要となるのだ。こうした大切なインタープリターを無くさない為にも、学校の理科教育は「面白い」や「役に立つ」とい った考えを植え付ける方向に変えて欲しい。  

 
                                                   
ホームページ