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清書:自然に学ぶこと イチゴ の広場
ひろりん あしゆ 中1

 音楽、というものは生き物のようである。ひとつの和音は殆ど不変だが、音楽という有機的な流れの中では、響きは千変万化し、表情が豊かになる。そし
て私たちはそれを作曲するのではなく、音と協同するのだ。言葉を変えていうと、音が作曲者の力を借りて姿をあらわす、と言う感じだろうか。作曲者が無 力感に捉えられる感じがするのは、共同者の「音」の言葉をうまく話せないからだ。自然から学ぶことは多く、この地球の記憶の、はるかな連なりを見出す のは難しいことだが、作曲は音の人間との共同作業なのだ。  

 自然から学ぶことはとても多い、というが、それは音に限らない。一番身近なものと言えばエアコンと自然の風だ。エアコンは自然の風を真似て、さらに
温度調節もできいつでもつけたり消したりできる、と言う便利さも付け加えた。夏の暑い日にエアコンの効いた部屋に入ったときの「あ〜。」という感じは なんともいえない。しかし人工の物は結局人工である。エアコンの前に長い時間いると頭が痛くなってくるし、寒くなってくる。私もエアコンをつけっぱな しのまま寝たとき、寒くてミイラのように硬直してそのまま朝まで、ということがあった。しかし自然の風は暑いときは暑い、と言う欠点があるが、すずし い夜の風は「そよ〜」としていてとても気持ちがいい。エアコンのように頭が痛くなることもないし、すごしやすい。ミイラになることもない。(笑)考え てみれば人間は自然のものなんだから、人工のエアコンより自然の風のほうが合っているんじゃないだろうか。やっぱり人間は自然に学ぶことのほうが多い のだ。  

 私たちは普段から自然のものを真似て作った便利なものを使っているが、結局まだ自然の力には及ばないと思う。自然の風はそうだし、他にも明かりなど
は蛍光灯より太陽の光のほうが目をいためない。音楽の場合は、オーケストラの曲よりも川のせせらぎや葉っぱ同士が風であたっている音のほうがとても気 持ちがいい。こんな時代だからこそ自然に学ぶことは多い。そのことを忘れてはならないのである。                                                      
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