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清書:聖域なき発想 アジサイ の広場
UZI.SMG そお 高2

 ゼネラリストとスペシャリストには、総合的な考え方ができるか、それとも専門的な考え方ができるか、という違いがある。どちらも重要だが、特に日本
では政界等においてゼネラリストが不足してはいないだろうか。その原因を探りたい。  

 第一に、総合的、包括的な発想法を教育していないという理由が考えられる。海外のことは知らないが、少なくとも日本では教えている科目数が多い割に
それらは個々に独立されていて相互の関係性は全く無視されている。例えばこれからは英語の時代だといっていながら、英語以外の科目では全く英語を使わ ない。本来なら英語で論文を書くとか、英語の論文を読むという授業があるべきではないか。  

 第二に、日本人の意識の中で自分の専門外の人間、つまり素人を軽蔑する傾向があるという理由が挙げられる。教育の成果が出ているとはいえ、ゼネラリ
ストが存在しづらい環境が確立しているがために、みんなで足を引っ張り合ってゼネラリストをスペシャリストに引き釣り込んでいる。例の伏魔殿など最た る例だ。  

 このような理由から日本という環境ではゼネラリストが育ちにくいと思われる。確かに、一部企業の社長やベンチャービジネスを成功させているような優
秀なゼネラリストは少なくない。だが全体的に見ると自分の専門外の分野へのチャレンジ精神は薄く、むしろ他の専門分野に対する聖域視すらあるのではな いか。インターナショナルな発想が自然にできるような環境作りを急がねばなるまい。  

 
                                                 
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