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切磋琢磨 アジサイ の広場
眠雨 うき 高2

 近年、日本では、人間関係が稀薄になっていると言われる。ひきこもり現象や人間不信が募っての犯罪といった極端な例もあれば、ごく一部の友人で小世
界をつくる学生という目立たない例もある。人の間と書く生物であるように、人間は他者との関係によって生きていき、成長していく。物資は豊かになり、 世も落ち着き出した今、我々は人間関係の築き方を再度学びなおすべきではないだろうか。  

 では、なぜ他者とのさまざまな結びつきが薄まっていったのだろうか。原因としては第一に、人が不誠実になった、というのが挙げられる。それがいつご
ろからであるか明確な線を引くことは難しいが、大戦中の混乱期から高々度の経済成長を通るころに、自らの利益のために他者を切り捨てるという理念が少 しずつ根づいていった。そうして、せめて自分の腕の届く範囲を守り、その外はある程度の警戒を持って戦わねばならないという、正当な防衛の針もまた。 他者を信用し切れないから、警戒のために張り詰めた緊張の糸が切れると、それは他者への攻撃となって現われる。そしてそれを警戒するためにまた人間を 取り巻く盾はもう一枚増える。例えば私の中学にも、「防衛のため」といって小さなウェストポーチにライターやナイフを忍ばせていた先輩がいた。多分に 冗談めいた、というか「自分は危険な存在なんだ」という恰好つけを行なうためのポーズだったとは思うが、それでも今やそうした冗談やポーズが通用する ほどに、外敵に敏感な子供もいることは見落とせないだろう。  

 第二の原因としては、日本人の気質とも言える「ことなかれ主義」があるだろう。争いを避け、平和な中でのんびり過ごそうというこの気質は、言い換え
るならば外世界の隔離である。傷つかないように自分の友人だけをそばに置き、その他の世界はないものとして過ごす。人間関係は自分の知り尽くした領域 の中でのみ行われ、一喜一憂は見せるが、そこに昨日までの風景と違うものはない。日本人はこの中の安定に平和を見出すが、悪いことに、現代において本 当に外世界を隔離したままで暮らせることは少ない。当然さまざまな軋轢が生まれ、時に争いが発生し、稀には人が死ぬ。黒船が来航した折に日本人がまず 議題に挙げたことは、黒船をいかに追い払うかということであった。異文化と早くから接していれば、アメリカから受け取れるものが決して少なくはないこ とに気づき、薩英戦争や戊辰戦争のような内戦を通じることなく成長の道を歩めたというのに。  

 確かに文化的な素養は閉鎖的な人間関係で高められるものもある。共通認識をもつ多数によってつくられた俳句という文化が優れたものであることは言う
までもないだろう。しかし新たなものの見方や考え方にぶつかることによって自分の考え方を成長させていくというのは、予想外の反応が返る他者との関係 においてのみである。傷つくことを怖れすぎるべきではない。切磋琢磨という言葉がある。玉石を磨くこと、転じて学問や人格を深めていく意味をもつ。こ すりつけることによって余分な部分を削り落とし、より輝きをもたせていくそのプロセスには、当然削り落ちるものの痛みもある。しかし傷無くして進歩は ありえない。その傷を埋めるのもまた人間関係である。我々は、傷つくことを怖れすぎるべきではない。人と人との関わりを、もう一度信じてみるべきでは ないだろうか。バリケードをとり、他者を信じることが、人間関係の第一歩なのだから。                                                    
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