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辞書を使える人と使えない人 アジサイ の広場
ノッポ いえは 高3

 歴史とは固有のものではなく、絶えず変化していくものである。歴史過程においては過去が現在に生き続け、つねに新しい文脈の中で問い直される。歴史
は、歴史家自身が自身の研究対象たる過程の一部であり、同過程中にかれ独自の位置を保持し、現在の瞬間においてかれが占有している観点からのみ同過程 を見る事ができる。しかし現在、日本の学問が、問題集を解くように与えられたものを考える能力を使わず、頭の中に知識をインプットするものになってし まったのは、なぜだろうか。  

 この根本的原因として、日本の学問が元来知識を優先せざるをえなかったからだろう。日本固有の学問、宗教はあったが多くのものは古代から現代まで他
国の知識を取り入れたものであった。仏教、漢字、医学、産業など優れた国から得たもので、自ら切り開いたものではない。日本の歴史の中には、仏教伝来 、種子島に鉄砲伝来、杉田玄白らによりシーボルトの医学書翻訳など知識の流動が目立つ。このような過程で日本では知識という情報が学問と定義されてし まったのではないか。  

 これから私たちが解決しなくてはならないのは、知識を中心とする学問を否定するのではなく知識の活用方法を学ぶ事である。日本は他国の情報のもとで
成り立ってきたところは大いにあるが、昔から漢字を基にしてかな文字を作り、現代では機械技術や独自にカップラーメンなども発明した。外部から受け取 ったものを創意工夫する事によってそれらを自分のものにしてゆけば良いのである。知識を元にし次に何が出来るかが重要である。そのための具体的方法と して、私たちは学問を学ぶ過程で小論文を書く習慣をつける必要があると思う。小論文は、みずからの経験や知識をうまく活用させる事により結論を導く。 経験や知識がなくては書けないが経験と知識だけでは書けない。小論文は私たちに考える能力をつけるのである。  

 学問とは自分の武器である。学問を学ぶ事は自らを成長させ知恵をつけていく。そこで初めて学問は学問としての役目を果たす。そしてこの知恵という武
器を使って私たちは目標を達成させていくのである。  

 
                                                 
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