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言葉と人生 オナガ の広場
俊輔 あやゆ 小6

 日本語は、今まで日本民族によってしか使われたことの無い内輪の言葉、つまり部族言語である。しかし、私たちの母語である日本語は、今徐徐に外の視
点を加味して整理されている。国際普及の日本語になるかと言うことは国家的な事業として相当大きな研究問題としてのお金をかけ。真剣に取りくまないと 、どうにもならない。  

 現在日本語を学んでいる外国人で、日本語で一番難しいと思われる物は、敬語である。なぜなら、敬語は、目上の人や尊敬している人に対しているときに
使うが、使い方が難しいからである。大人でも、敬語を的確に使えない人が多いという。大人でも、的確に使えない人がいるのだから、日本語を学んでいる 外国人が難しいというのも無理はない。ときどき学校でも、担任の先生が、敬語についてよく話す。先生が、敬語が的確に使えない人が多すぎる、といって いた。おかあさんから聞いたが、敬語には、尊敬語と謙譲語があるそうだ。聞いただけで難しいと言うことが感じられる。テレビで、敬語の使い方があって いるかという問題が出た。どういう問題化はわすれてしまったが、正解は「違う」だった。ぼくどころか家族全員が間違えていた。だから、敬語は難しいと 言うことが分かった。  

 日本の歴史は、言葉では中国からほとんどが伝わっていた。学校の社会で習ったが、日本独自の文化ができたのは、平安時代からだという。つまり、それ
までの日本の文化(特に言葉)は、中国から伝わってきた文化なのである。国語の教科書にも載っていた。また、ある、言葉について書かれた本を読んでい た時、日本語のほとんどは中国のものであるとかかれれていた。  

 えいごは、じぶんのことを「アイ」という。だが、日本語は、自分のことを、「僕」「私」「俺」「おいら」など、1つの言葉で、色々ないい方がある。僕
が思うには、外国人が、日本語を学ぶのに辛いと思うことは、敬語の次に、ある1つの言葉に対していろいろな言い方があるということであると思う。学校の 、国際理解の授業で、よその言葉、(英語など)のほうが、日本語より難しいと僕は思う。しかし、僕が、もしアメリカ人で、国際理解の授業で、日本語を 勉強すれば、日本語は難しいと思うだろう。なぜなら、自分が生まれた国の言葉を学べば、その国の言葉になれてしまうからである。  

 「住めば都」ということわざがあるように、僕は、日本人なので、日本語が一番いい言葉であると思う。自分の生まれた国の言葉は、人生の中で大切なも
のであるということが分かった。  

 
                                               
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