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競争の本当の意味は。 アジサイ の広場
ノッポ いえは 高3

 「テストの点は人間の価値を測る絶対的な尺度であり得るか」という問題について、A氏は、テストは必要であり、強制をともなわない教育などというも
のはあり得ない。強制がなければ自発的に知識を身につけにくいものである。人は走るなら速く走りたいし、理解はできるだけ早くしたいという気持ちを持 っている。B氏は、教育に評価は必要であるが、評点は不必要であるばかりでなく有害である。評点とは点取り合戦であり学校を「勉強強制所」に変えてし まっている。  

 まず生活の中に競争がほとんどない事を想像してほしい。想像できるであろうか。できないはずである。私たちは競争から喜びや達成感、悔しさや挫折感
を味わう。もし競争がなかったら私たちは何を感じ生きていくのだろうか。  

 「競争が必要か不必要なのか」という議論が教育現場を初め企業などでも考え直されている。けれども今必要なのは、日本人の競争への勘違いを取り払う
事ではないか。今の日本では競争の勝者はすべての勝者とされる。例えば、学歴と人間性が同一とされる傾向がある。偏差値の高い大学出であるというだけ で尊敬されてはいないか。  

 人には得意不得意がある。学校の勉強が得意な子供もいれば人を笑わすのがうまい子もいる。それぞれ個性であり、勉強が得意な子供の方が人を笑わす子
供より優れているとはいえない。そして勉強ができるからといって運動や人とコミニケーションを取るのが得意とは限らない。今、私たちは人への単一的な 見方を変えるべきである。  

 競争は人間の心理状態を圧迫させる事も多い。人はそれぞれ顔が違うように性格も異なっているのだから、一つの基準の中で争わせるのは必ずしも公平と
は限らない。けれども「人は必ず一つ才能を持っています。」ある日本を代表するトライヤスロンの選手が言った言葉のとおり、一つの分野の競争で負けて しまった人は、ほかの分野で力を発揮させれば良いのである。  

 
 

 
 

 
                                           
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