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ゼネラリストとスペシャリスト アジサイ の広場
ひまわり あなつ 高2  

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最近、世の中では「ゼネラリスト」や「スペシャリスト」という言葉がよくとびかっている。今、不況な日本の経済の中でリストラなどの雇用関係の問題が 絶えない。よってこの2つの言葉は非常に重要視されているのだ。一般的に、広範囲な知識、技術、経験をもった人をゼネラリストといい、それとは逆に、特 定分野について深くすぐれた技術を持った人をスペシャリストという。今の日本社会ではこのスペシャリストが強く求められている様である。自分の専門分  

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ゼネラリストというのは、簡単に言えば、何でもだいたいの事は出来てしまう人のことを指すのだろう。ただし、出来るといっても、特にずば抜けて出来る ものもなく、どれも平均的な能力なのである。学校の場でのゼネラリストというのは、やはり、どの科目も普通に平均点以上とれて、成績表は殆どオール4 に近い人だったり、体育の授業でも、どんな種目でもわりかしできてしまう人なのである。私はこのタイプを悪くないと思っている。様々なことが出来ると いうことは、様々なものを知ることが出来る。広い範囲の楽しさが体験できるのだ。だが、欠点もある。まず大体の事が中途半端なのである。一般に、足が 速いといわれても、やはり本質的な能力をもっている人に勝てるほどではないし、数学が得意だと言っても数学的センスを持っている人には叶わないものが  

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逆にスペシャリストというのは、得意不得意の差が激しいのである。これはかなり魅力的である。自分はこれだっ!というものがあるというのは、ゼネラリ ストからみれば羨ましい点である。あるものを深く知るということによってそのものの本質的な楽しさを知ることができるし、究める事でその世界のトップ の方までのぼりつめることができる。つまり誰にも負けないものを手にすることになる。これはやはり良い。しかしずばぬけてできるものがあるという人と  

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今の時代はスペシャリストの方がゼネラリストよりも求められているが、そんなにもスペシャリストのほうが良いとは思わない。専門的分野はとても必要な ものだがそれを使う時、まわりが見えない状態で使っても意味を持たないこともある。だがゼネラリストも、この厳しい時代、人と同じ物を持った人は必要 無いのだ。一番求められているのは、ゼネラリストでありつつ、スペシャリストであると言う事だと思う。大体のことは高いレベルまでできて、なおかつ、 そのなかで得意分野をもつのだ。とても困難そうに見えるが、今では不可能では無い気がするし、それが出来る人こそが、今の時代に求められてるものなの  

 
                                               
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