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見テ知りソ知りテナ見ソ オナガ の広場
祐司 には 中1 見テ知りソ知りテな見ソ  

 この話で筆者が言いたいことは自分たちの考えでは「見る」ということより、「知る」ということを大事に考えている。しかし、ものごとを判断したり、
それを味わったりするときには、その予備知識や固定観念がかえって邪魔になることがある。だから、まず見ること、それに触れる事、体験すること、そし てそこから得る直感を大事にすること、それが大切なのだ、といっている。  

 僕も「知る」ということより「見る」ということのほうが大切だと思う。
 

 第一にたとえばある学校での「~先生はとてもこわい」という噂がながれそれを聞いてしまうとその話を聞いた人はまだなにも教わっていないのに「~先
生はこわい」と思ってしまう。  

 僕はただ噂を聞いただけで「~先生はこわい」と思うのはあまりよくないと思う。
 

 なぜかというと「~先生はこわい」というのはその人がそのように感じるだけであって噂を聞いた本人にとって「こわい」と思うかはわからないからだ。
 

 第二に見なければそのことが良いのか悪いのか分からないからだ。
 

 たとえば親が男の子に望む職業というので1位公務員2位スポーツ選手3位医者となっているがそのような職業が良いか悪いかは実際に体験してみないと
わからないからである。  

 第三にたとえば数学のテストがあり自分では出来たと思ってもそれは答え合わせをしないとわからないからだ。
 

 第四に僕が小学校一年生のときの校長先生は「バルタン」とよばていて僕もよく遊んでもらったことがある。しかし後からその先生は世界的に有名な先生
だということを聞いてもしそのことを一年生のうちに知っていたら楽しく遊ベなかったのではないのかなと思った。  

 これは先生のことをあまり良く知らず見ただけで遊んでいたから楽しく遊べたんだなと思った。 僕は「百聞は一見にしかず」ということわざは正しいの
だなと思った。 これからは噂だけでなく「百聞は一見にしかず」ということわざの通り自分で見てその噂が正しいのか確かめるようにしたいなと思った。< img src="http://www.mori7.com/izumi/icon/1705.gif">  

 
                                   
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