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数学とシンデレラ アジサイ の広場
由希子 あとえ 中2

 自分の研究を発表するとき、「それで、ふと思いつきまして」とは絶対にいえない。ふと思いついた発想には一言も触れず、データに基づいた「論理的」
推理を展開する形をとることによって、研究も自分自身も、「科学的」な対面を保たなければいけない。これが、今までの科学と、科学教育の落とし穴であ る。幸いにして近頃は、多くの人がこのことに気づき始めた。しかし、コンピューターによるデータの処理解析が普通となった今、振り子はまた以前の状態 に戻る可能性がある。今大切なのは、科学も技術も、普通思われているのと異なってずっと人間的なものなのだということを、深刻に意識することである。  

 私は、何事も内容が大切だと思う。
 

 数学の問題を解いていて、式は間違っているのに答えは合っていたということはないだろうか?難しい問題を色々な方法で解いていて適当にやったらあっ
ていたということはないだろうか?私は、たまにそういうことがある。「こう解いたら小数になるから違うだろうな。ああ解いたら分数になるからこれも違 うだろうな。じゃあこうすればいいや。」となぜそうなるのか、どうしてこうしたかという理由がきちんとしていない、たまたま、偶然ということがある。

「それではいけない。」と母に言われた。「適当にしていたら、今度同じ問題が出ても解けないよ。応用もできないよ。」ともいわれた。私は、それもそう
だと思った。プリントをやっていて、同じような問題が出たので、「あっこれやったことあるような気がする。」と思ったが、適当にやったのでまるっきり 覚えてなかったということがあったからだ。私は、答えが出なくてもいいから、自分はどう思ったのか、どこが間違っていたのかという中身、内容が大切だ と思った。  

 しかし、結果がすべて。「終わりよければすべてよし」ということわざがあるように、結果が大切だということもある。
 

 シンデレラという童話がある。だいたいの人は知っていると思うが、意地悪な継母や義姉に毎日いじめられるというかわいそうなお話だ。しかし、最後に
は王子様と結婚して玉の輿をする。ハッピーエンドだ。私は、意地悪な継母や義姉にいじめられても、最後にハッピーエンドで終わったから、シンデレラは 幸せだったと思う。終わりが良ければそれでいいと思った。  

 確かに、結果はきちんと出さなければいけないと思うし、内容も大切だと思う。結果だけでは全然足りない。かといって内容だけでもだめ。中途半端はい
けないと思う。だから私は、内容もすばらしくできていて、きちんと答えや結果を出さなければいけないと思った。何事も最初から最後まで、気を抜かずに やらなければいけないと思う。                                                
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