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ガッツの印 イチゴ の広場
田鳥倉部 あゆと 小6

 そこに「遊び」が必要ではないでしょうか。つまり、余裕です。 また結果的には、学校の先生方も、学歴社会の中にあって、そのとんでもない勘違いの
先頭に立って(あるいは立たされて)、子供いじめをしてはいないでしょうか。食べたくないものを、口の中に無理やり詰め込んで、子供たちから食欲をす っかり奪ってしまうのではないでしょうか。大学生たちがこんなになってしまったのも、当然というほかはありません。大人たちの作った社会体制のまさに 犠牲者と言うべきだと思います。  

 僕のこの話のきっかけは、「ガッツ。」があるこそ自分があると思ったからこの話をしようと決めていた。高学年になりそれより上の学年の人は、(それよ
り下の学年でも同じだけど)塾や受験勉強などで忙しくなる。自分が低学年の頃を振り返ってみると・・・。  

 「今日は、水曜日「塾」もないし誰かと遊ぼう。」
 

 と、いう感じが続いていたと思う。今では、
 

 「今日も塾か、やんになっちゃうなぁ。」
 

 ここで一番必要だと思うのが、「遊び」だと思う。たまには、ゲームやカードげーむ、もしくは外で野球などをするというのも良いかなと感じた。
 

 僕は、塾を始めたばっかりで夏休みに夏期講習があった。
 

 毎日、毎日あって、このとき心で感じていた。
 

 「頭が良ければ良かったなぁ。」
 

 こういう毎日が続いたある日、
 

 「野球観戦に行こうということになった。」 心が目覚めた。この日は、ウキウキしながら授業が終わると、こんな声だった。 「さようなら。」
 

 観戦して楽しかった。カードゲームも買ってもらいやりたい放題で、これが影響して頭が良くなった。 こういうことがあったから、 「頭が良ければ良い
だけじゃ駄目で全体が良くないと駄目なんじゃないんだと思った。」  

 今も、順調です。 昔は、少しさっき書いてあった通りだけど、遊びほうけていて全然勉強はしていなかったというわけ。 今回のことわざは・・・。
 

 過ぎざるは及ばざるごとし、勉強をやり過ぎてもやってないのといっしょと同じことである。今回の課題と同じで、 勉強はたまにで、遊びもたまにこう
いう風な理想を目指そうと思う。 人間にとってガッツとは、人間の心を左右させることでもあるがリラックスさせることでもある。  

 
                             
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