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人と道具の主従関係 アジサイ の広場
太公望 うの 高2

 最近、コンピューターの普及が増えてきているがそれとは反対にそれを持っている人に対して使いこなせる人が少ないというのが現状である。確かにパソ
コンなどは難しくすぐには使いこなすことはできない。すると日本人はもっとパソコンについて勉強しなければならないといって政府が「IT講習会」を開く などといっていた。人間が作った道具のくせに人間がそれに追いつくために勉強しなくてはならないとは変な話である。本来なら人間に合わせて道具を使い やすくすべきだと考える。しかし、最近では「インターネットも一つのボタンでできる」といってパソコンも使いやすくなってきている。  

 ここで考えるとなぜ日本人は、道具を変えようとせず人間が変わろうとするのであろうか。日本人独特の考えといってもいいかもしれないが、歴史的に考
えてみると明治維新がポイントになりそうである。明治維新後様々な日本にない道具が入ってきた。それに日本人が対応するために必死になって勉強した。 この時には、日本人にとって外国の道具というものは不可侵なものだったにちがいない。だから道具を変えようという考えも知識もなく自分たちが変わるし かないという考えが生まれたのだと思う。それが今日にも続いているのではないかと思う。  

 今の社会的原因で考えてみると道具を作っている人たちの考え方にあるのではないかと考える。当然世の中に無い物を作っていくのだから大変なことであ
るが、製作者が「みんなが道具について勉強するだろう」という考えを前提にしているからやたら難しいものができてしまうのである。若者だけが扱えるから といってすべての人が使えるわけではない。確かにみんなにとって使いやすい便利なものもあるが、これからIT関連の商品はますます出てくるだろう。出て くるのはいいことだが「みんなが扱える」というの前提にした商品を作るべきである。  

 人間が道具を作って道具に支配されるべきではないと思う。映画の「マトリックス」でも人間が機械に支配されるという世界が描かれていた。道具は人間
の手助けをするものである。それをもう一度頭に入れて原点に立ちかえり道具をつくるべきだ。確かに人間も変わることが大切であるが道具に対して変わる ことはなくてよいのである。  

 
                                                 
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