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一部分よりも全体像 アジサイ の広場
ピエッパ にお 中3

 テレビと言うのはいろいろな人がみるから、人はテレビに惑わされやすい。一部分を見ただけで判断してしまうのだ。例えば、京都の町並みを映す番組が
あったとすると、真っ先に神社や寺院などがでてくるだろう。そして、外国人など京都を知らない人は、「京都はお寺」と決め付けてしまうのだ。実際、京 都はお寺が多いが、もちろんビルやマンションがあり、人口も多い。「京都はお寺」と言われると、京都に住んでる人にとって、嫌な気分である。このよう に、一部分だけ見て、判断するのは危険なことである。僕は、他にも見方がある事をわかりながら生活したい。では、そうするにはどうすればいいのだろう か。  

 まず、他人の意見を聞いてからゆっくり考える事が大事だと思う。例えば、数学の時間に、わからない問題の解き方を教えてもらったとする。そして、す
ごくわかったのだが、僕はそこで終わってはだめだと思う。その後に、自分で他の解き方を考えることによって、さまざまな視点から捕らえることができる のだ。  

 次に、見るだけでなく、聞いたり、読んだりすることが大切だと思う。サッカーの用語のなかでオフサイドと言うのがあるが、わからない人がいたとする
。しかし、その人は、  

 「オフサイドってどういう意味?」
 

 と聞かれてしまう。
 

 「わからない」
 

 と答えたら良いのだが、知ったか(知ったかぶりの略。知りもしないのに知ったふりをすること)をして 「オフサイドは、サイドの人が休むと言う意味
だよ。」  

 と言ってしまう。(もちろん間違っている)こんなことにならないように、わからないならサッカーの本を見て勉強することが大切なのだ。
 

 このように、一部分だけ見たり、知ったりしているのは危険だ。やはり、それにはいろいろな視点から見ることが大切だと思う。また、
 

 「百聞は一見にしかず」
 

 と言うように、人から聞いておかしいなと思ったことは、自分で調べることが大切なのである。
                                     
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