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名前とイメージ イチゴの広場
UZI.SMGそお高2

 固有名詞をつけることはその対象を社会の管理下、支配下に置くことであって問題である。という意見は不可解だ。なぜなら管理、もしくは認知するため
に名前を付けるのだから固有名詞が社会の管理下にあるのは当然だからだ。だが、名前が表すイメージや実体は一方的な偏見によって決められるべきではない。そして現在、噂やマスコミの情報だけで固有名詞に対する虚像を作り上げている人が多いのではないか。 

 
 

 第一に、自分で情報を集める努力をしなくなった。人に関しては、実際に会話をして接することをしなくなった。真実を確かめようとする努力を払拭して
、噂話を信じるという楽な方へと流されている。それは単に面倒くさがりなのだろうが、真実を確かめることは情報の氾濫する現代では確かに面倒くさく困難なことではある。 

 
 

 第二に、自分の都合のいいように解釈したがっていることだ。たとえば金を貸してくれる人やおごってくれる人は「いい人」で、逆に忠告したり諌めたり
する人は「偽善者」として認識する人は、結構多いのではないか。このような思考の単純な人が増えていくことは社会全体のモラルだとか教養レベルが下がることであり、やはりこのことは重要な原因だろう。 

 
 

 このような原因から固有名詞に対する間違った認識をする傾向が出てきたのではないか。間違った認識を避けるにはその自覚と、真実を追究する姿勢が必
要だ。とはいえ、一方で誤認されないようにする工夫を、自己防衛手段として行う必要がある。企業のブランドネームの宣伝などはその一例だ。SONYは高級で斬新なイメージがあり、NationalやPanasonicといった松下系列は安くて庶民的なイメージがある、というように各社が創業以来カスタマーに対して植え付けたブランドイメージがある。これは一方的なイメージではなく、企業からもカスタマーからも発せられた双方向的なものであることを見落としてはならない。 

 
                      
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