先頭ページ前ページ次ページ最終ページ
余白、余韻 アジサイの広場
ホームズなか中1

 話し上手の人がいる。話し上手とよばれる人は、意識して、あるいは無意識のうちに、うまく「間」をとり入れている。適宜、風を吹かせながらの饒舌で
あれば、聞き逃されることも少なく、風のあいだに相手が連想し想像し思考する余裕を与えておいて、更にたたみかけるのもいいだろう。風も通さない饒舌は、聞いているほうも苦しくなり、終わった時には、さて、何を聞いたのかということにもなりない。余韻とか余情をふくみ、それらはすべて、「間」のいかし方にかかわっているように思われる。僕は、余白や、余韻みたいなものが必要だと思う。 

 その理由は第一に、余白や、余韻の効果を使うことによって、相手に伝えたいことが伝わりやすいからだ。例えば、ここでディベートをやっているとしよ
う。議題は、「人類は滅びるか」。「人類は滅びない派」と、「人類は滅びる派」にわかれる。ここでは、「人類は滅びない派」をA、「人類は滅びる派」をBとする。ディベートが始められた。Aの、田中太郎が言った。 

 「え~、僕はですねぇ、クローンの技術を使えば、人間を~することができ、永遠に~で、――くどくどくどくど――だから人類は滅びない。いや、むし
ろ~~~~で、~~~ だから、それを~~~~することによって、先ほど言ったようになる。つまり――――」 

 太郎の話はまだ続く・・・。いっぽう、Bの山田花子。
 

 「形あるものは滅ぶものです。・・・・・」
 

 ここで、花子は間を空けた。
 

 「つまり、形ある人類は、滅びると私は思います。」
 

 二人の人物が話をしたわけだが、太郎の話は、くどくどと長くて、何をいいたいのか良く分からない。また、余韻が無いから、相手が考える時間も無い。
花子の話す内容は簡潔で、しかも、効果的な間もあるので、相手に何を言いたいのかが良く分かる。 

 第二の理由として、余白や余韻を使わないと、何を言いたいのかが分からない。さっきの花子と太郎の例で説明しよう。太郎のように余白や余韻が無いと
、相手に考える時間を与えず、内容がとても分かりにくい。そのため、絵などを描く時も、余白を効果的に使うと、なにを相手に伝えたいのかが良く分かる。理科でやるスケッチも、見えた微生物だけを、中心に書きなさい。と、言われる。そのため四隅などに、空白が出来る。そのため、何を相手に伝えたいかが、良く分かるのである。 

 「ライオンは、一匹のうさぎを倒すためにも、全力を尽くす。」というが、年から年中全力を出しているのではない。時には立ち止まって、羽を休めるこ
とも大切である。つまり、緩急が大切と言う事だ。野球でも、ストレートばかりで押しまくるのではなく、時にはチェンジアップなどを交える投球がいい。余白を使えだとか、内容を簡潔に、とエラソーに言っている僕も、これからは、簡潔で、分かりやすい作文を書いていきたいと思う。 

 
                   
ホームページ