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アジサイ の広場
ほり内 ぬり 中2

 
 

 敬語は僕にとって恐い。将来社会に出て、上司に敬語の使い方を間違えて、即刻首になってしまうかもしれないからだ。ところで、敬語というのは「られ
る」というのが、語尾についている。その役割は次のことである。一つ目は、せっかく買ったまんがを盗られたというふうに、他からの動作や働きを受ける ことを表す。つまり受け身を表す。二つ目は、先生がシャープペンシルを買って来られたというふうに、動作をする人に対する敬意を表す。つまり尊敬を表 す。三つ目は、まんがはおもしろく感じられるというふうに、しようと思わなくても自然にそうなるということを表す。つまり自発を表す。四つ目は、この 図書館ではまんがが見られますというふうに、あることができるということを表す。つまり可能を表す。という仕組みである。しかし、最近「られる」では なく、「れる」を使うようになってきた。  

 確かに、「られる」というような古い言葉も大切だ。僕が今後悔していることは、4月4日の日に新しい教頭先生に会って、敬語も何も使わずに、あいさ
つしてしまったことだ。よくよく考えたら、校長先生の、次に偉い人ではないか。そう思ってなんだか恥ずかしくなった。このように、古めかしい所もある のだが、やはり捨ててはいけないものなのだ。  

 しかし、「れる」のような、便利で新しい言葉も大切だ。これと同じようなことは、物にもいえる。例えばスティックのりと、でんぷんのりである。でん
ぷんのりは本当に、手は汚れるは、使いにくいは、はみ出やすいは、厚く塗りすぎるは、ものすごい不便だった。その反面、スティックのりは、手は汚れず 、つかいやすい。その上、はみ出ずに、薄く塗れる。つまり、新しい物や言葉というのは、結局、古いものをどんどん改良しているから、新しいというのは 、同時に、「古いもの完全版」(笑)みたいなものである。  

 確かに、古いのも、新しいのも、いいが、こういうことをしている目的というのは、わかりやすいようにするという事だ。
 

 
                                               
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