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「ジョン・メイナード・ケインズが」を読んで アジサイ の広場
山口晃弘 あう

 経済学者としてだけではなく、投機家としても知られているケインズが投機のモデルとしていたのは、専門家が多数参加し短期的な利益を目的として売買
する真の意味での投機的市場である。この市場においては専門家の予想が市場価格となるため、市場価格は実体と乖離し、些細な情報によって乱高下する恐 れがある。ここで、たとえ合理性に基づく市場であっても不安定性が付きまとうことを主張する理論が提示される。  

 先日、就職活動のためある自動車メーカーの業務説明会に参加した。その説明会において経理・財務部担当者は銀行から転職し材料を輸入する際の為替を扱
っているそうである。資源の少ない日本において、材料を外国に依存しなくてはならないことは周知のことであり、当然為替が僅か1円でも変動すれば経営に 大きな影響を及ぼすことになる。一見、投機とは無縁に見えるメーカーにおいても、為替業務が重要な位置付けにあることがよくわかる。  

 日本では「投機」というと「ギャンブル」を連想しがちであるが、物価の安定を図ることによって、経済の運営のためのクッションとして働くと言われて
いる。このようなことから、投機は一定の存在意義はあると言える。  

 しかし、投機が短期利益のみを目的とすると社会に大きな害をもたらすことになる。1997年、俗に「通貨マフィア」とよばれるヘッジ・ファンドがタイや
マレーシアなどの弱い通貨を次々と狙い撃ちにし、国際市場に深刻な影響を与えたことは記憶に新しい。このように、市場への投機手法が高度化し一国の経 済さえも破綻させるようになったことに関しては、何らかの手を打たなくてはならなくなるだろう。  

 このように、投機は両刃の剣であるといえるため市場に対し規制を設定することが指摘されるかもしれない。しかし、本文でも「投機は市場から切り離す
ことは出来ない」と主張されているように、投機をいたづらに押さえ込むのではなく投機を市場の一つのシステムとして受け入れていく手段の方が望ましい のではないだろうか。  

 
                                               
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