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計画を立てるか、ぶっつけ本番か アジサイ の広場
AE86 えや 高1

 どこかへ旅行がしてみたくなる。しかし別にどこというきまったあてがない。そういう時に旅行案内記の類をあけて見ると事がちがっていて、だれのオー
ソリティ、あるいは海浜、あるいは山間の湖水、あるいは温泉といったように、行くべき所がさまざま有りすぎるほどある。次には念のためにいろいろの人 の話を聞いてみても、人によってかなり言うを信じていいかわからなくなってしまう。  

 旅は冒険である。ガイドブックなどに載っている所は確かに良い場所だが、隠れた名所(店)も数多くあるのだ。食べ物に関して言えば「○×テレビに出ま
した!」なんて豪語しているところに限って、あまりおいしくないのだ。逆に、先祖代代受け継がれて今にも潰れそうな店の方がおいしかったりするのだ。 しかし、私はガイドブック等に頼りたくない。確かに楽に探せて楽に着ける。しかし、発見した時の喜びがないのだ。それをもっと身近に例えると勉強であ る。先生の言われた通りにやっていれば確かに楽だが、解けた時の喜びがないのだ。又、自己流で身につけたものは、絶対に忘れない。勉強は自分で解いて こそ身に付くものである。  

 私は最近、自転車で出かけることに凝っている。なぜなら「必ずと言って良い程道に迷う」からだ。要するに、運動と道覚えの為である。一人で出掛ける
と、いろいろな発見ができて面白いのだ。又、それが家族で出掛ける時にも役に立つのだ。  

 旅をするときに旅行案内記を見ることは最も安全な方法である。しかし、自分で見付けたものではない為、印象に残りにくいのだ。ガイドブックに載って
いないような場所を自分で探し出す様な人は、いかなる案内記にも書いていないいいものを掘り出す機会がある。  

 
 

 
                                               
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