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 社会は個人のもの エンジュ の広場
松の木 あなす 中1

 社会は個人のもの
 

 社会は個人から成り立つものとされている。したがって実状はどうあれ、それぞれの個人は、社会の構造、運営、将来について責任をもつものとして意識
し、行動していることになっている。しかしながら実の日本人の多くは、社会を構造する個人としてよりも、世間のなかにいる、一人の人間として行動して いる部分のほうが多いのである。  

 私にとって世間というのは、周りの人の中にいる自分の行動を個人の行動と分けているつもりになりすぎだと思う。世間という言葉では快適な暮らしをす
る為に必要なものだとは思うが、そのせいで個人差別や、人種差別などが起こるのだと思う。例えば世間常識という言葉がある、それを間違えたり知らなか ったりすると、あの人は普通の人ではないとか、「世間知らずだー」とかいうけれどそれは間違っていると思う。大体世間常識といっているけど一体誰がそ れを知らないと、変だとか決めたわけではないのにかってにそう思い込んでいる私達のほうが変だと思う。でも私達はそういうことになれすぎたから、世間 常識とかができたのかもしれない。  

 私達日本人はインテリだとかよく世界にいわれているけど他の国も絶対私達と同じ事をしていると思う。大体イギリスとか人種差別がひどすぎると思う。
白人用の電車と黒人用の電車とか作っていたり、私達黄色人もそういうことでは差別されている。でも私達はお金持ちだと思われているらしく、そんなにひ どい扱いは受けてはいない、けど黒人の差別は物凄くひどすぎる、いくら法律で差別を禁止してもそれが世間常識だと思い込んでいる白人はぜんぜんやめよ うとようともしない、こんなにひどいことを今でもやっている、国のほうがよっぽど日本より変な国といえる。私たちが作り上げた世間常識は快適な暮らし をする為にも必要だけどそういうひどいこともやってしまうということを皆にも気付いて欲しい。  

 
                                                 
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