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日本人は謙虚★ アジサイ の広場
幸子 あさも 中3

 農業は、人間が自然を自分の都合のよい方向にねじまげる行為である。しかし、自然を手なずけるどことか、自然の大きな力に翻弄されるばかりである。
そもそも農業というのは、人間が自然に働きかけかなりの程度それを飼い慣らしたように見えて、実際には単に大きな自然界のほんの少々の「おあまり」を いただくくらいのことしかできないのだ。畑仕事は、いくら人間が焦っても、できないものはできない。われわれの望むもののうち、自然の合意を得られた 分だけを、ゆるゆるとすすめることしかできないのである。人間は、自然に対してもっと謙虚になるべきである。  

 その為には、自然のわずらわしさをわずらわしいと思わないことだ。自然は心をなごませる。しかし、自然はきたないもの、めんどくさいものが多い。犬
などは本物を飼うのは毛が落ちたり糞をしたり餌をやったり、大変だ。それに対して今流行りの(?)ロボット犬は、かまないし毛は落ちないし糞もしない し餌も要らない。しかし、なにより、ロボット犬は可愛くない。見た目がよろしくない。大体、ロボット犬は「和み」がない。愛敬もない。ただ、決められ たパターンで行動しているだけである。「予期せぬ事」をしたりはしない。しかし、生身の動物には仕込まれたりしない以外、心があり、個々の行動をする  

 また、わずらわしさを避けない社会にすることも必要だ。わずらわしいから、めんどくさいからといっていろいろな物を省いていくと絶対にしっぺ返しを
食らう。歩くのがめんどくさいからといって車に乗っていると足が弱くなり、太る。人間が木を切りすぎたため、植林する時に、「植林しやすいから」とい って杉ばかり植えた。しかし今、日本人の多くが杉花粉による花粉症に苦しんでいる。多少手間がかかっても、元々生えていた木々を同じ分量で植え、元の 状態に戻すべきだったのだ。  

 もともと、人間は地球から、自然から生まれたモノであった。そのヒトが、でしゃばって自然を制そうなど、身のほど知らずで、図々しい話である。むし
ろ、自然の中で暮らしてなんぼである(んなこたない)  

 確かにヒトの種は他の動物より、ちょっとばかし知恵が付き、抜きんでてしまった動物かもしれない。だから、自然を、地球を制覇したがる気持ちはしょ
うがない(?)が、もうちょっと母なる自然に謙虚に生きてもいいのではないか。「寒さに抵抗するいちばんよい方法は、寒さに満足することである。」と いうように、自然を制する(?)ポイントは、自然に満足し、謙虚になり、自然の中で暮らしす事ではないか。  

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
                                     
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