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謹賀新年 イチゴ の広場
GTO えま 高1

 庭は原始社会では、集団全体の広場でした。そして時代が流れ…進み階級制度が現れ始めると、権力者占有の庭が出現し、個人的な庭というものが次第に
増えていった。  

 そして、個人的な庭は、みせものとして自慢したりするだけのものとなってしまった。
 

 公園というものもそうだ。人々がふれあい、憩いの場所である公園…公園が公園であるという意味を失いかけてしまっているのだ。現代の公園は役所に管
理されて好きな事が出来なくなってしまっている。例えば「芝生に入らないこと」「火を使わないこと」「キャッチボールをしないこと」その他たくさんあ る。キャッチボールなんていうのは広いところでやらないと危ない。ただでさえその、広い場所というのがなくなりつつある今日この頃…唯一の広い場所公 園でキャッチボールが出来ないなんて……こんな馬鹿げた事は無いと思う!!  

 何故にそこまで、利用規則が厳しいのか…それは利用している私達に問題があると思う。何故私達に問題があるというと…マナーを守らない人が居たから
だ。公園は自分一人のものではないという事が分かっていないのだろうか?  

 役所が人々の安全を願うということはとてもうれしい事だ。しかし、もうすこし決まり事を減らして自由に遊べる公園作りをして欲しいものだ。この、決
まり事を減らすようにするために私達は何をすれば良いか。私はこう考える。  

 例えば、一つの方法として、一人一人が自覚を持ち公園はみんなのものだということをもう一度確認する事が望ましいと思う。
 

 庭というものは個人の物というのが強いが、みんなのものと考えるのが良いと思う。庭にも公園と同じ事が言えると思う。確かに、庭は、見るだけでも安
らげる気分となる空間をつくってくれる。しかし、一人一人自らが参加して自由な庭を増やしていくべきだと私は思う。  

 
 

 公園と庭…なんのつながりが無いと思われる音楽でさえ同じ事が言えると思う。
 

 音楽というもの、もともとは歌ったり踊ったりする事が好きな民衆から始まったものだが、時代が流れるにつれて本来の持ち味が失われていく気がする。
しかし!!現代の音楽というものに変化が現れた。それは、パラパラの出現である。歌って踊れる曲として昔流行したらしいが、私は若いのでわかりません !?そのパラパラが現代の音楽に刺激されたのか…曲そのものが変わってきた。時代の最先端を逝くのだろうか・・・・むずかしいものだ。  

 私には理解できないような事ばかりだ……。  
                                     
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