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外見よりも中身 アジサイ の広場
AE86 えや 高1

 庭は原始社会では、集団全体の広場でした。屋内ではいこい、庭では活動的な共同生活がいとなまれたのです。多くは部落の中央にあり、宗教的儀式、政
治の集会がおこなわれ、また生活の場所 でもありました。しかし、やがて歴史がすすみ、階級制度があらわれはじめると、権力者占有の庭が出現します。ここでは、貴族たちがあつまって、政事、 儀式をとりおこない、遊戯し、スポーツをたのしみ、も よおしものなどを観賞しました。すでに一般庶民には閉ざされたものです。  

 本当の庭とは「みんなが楽しめる」ものである。今の日本は何かが違うのだ。団地の芝生には「立ち入り禁止」の札が立てられ、入れないのが現状である
(入れるには入れる)。今の庭は「使う為」ではなく「見せる為」に作られている。よって、これは私の考えに反する。私は「外見はどうでも良いから中身 」という考え方なのだ。だから(と言うわけでもない)、将来はボロい車に乗り、自分好みにしていきたい。見た目は良いけど、使えないものでは困るのだ 。人間もそうである。見た目は良くても性格が悪ければ使い物にならないのだ。  

 庭だけでもなく、今の物はなんでも「見た目重視」である。使い勝手など考えられてない物も多い気がする。実際にちょっと前の車は「車高が高くて乗り
やすい車」よりも「車高は低くてもカッコイイ車」というコンセプトで作られたものも多かった。よい例がZ32である(知らないだろうなぁ)。  

 公園もそうだ。作りばかり良くなって、肝心な使いやすさが犠牲になっている。もしかしたら「見た目が良ければ、使い勝手も良い」という考えを持って
いる人もいるかもしれない。しかし、それは大きな間違いだ。世の中とは、うまく作られていて「何かを手に入れる為には、何かを失う」のだ。車が開発さ れ便利になった反面、空気が汚れてしまった。正しくそれである。  

 人間は「キレイ=良い」という考えを持っているのかもしれないが、大切なのは中身です。それをお忘れなく。
 

 
                                               
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