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清書:続   行きはよいよい帰りは地獄 オナガ の広場
クラシック しふ 中1 ああすればこうなる。  

 いま、人は、指定された未来に向かって歩いている。
 

 頭の中にある時の三分割、過去・未来・現在・
 

 いま、ここでキーを打っているときは、一秒すぎれば
 

 ただの思い出、つまり過去になってしまうのである。
 

 決められたとき、決まった未来、………………
 

 明日は、学校、と決まっている。そうすると、
 

 明日までにする事も決まってしまう。
 

 とうぜん学校にいる間の時間も決まってしまう。
 

 これは、「予定された未来」を指すのである。
 

 つまり、現在とは、拘束された瞬間の事である。 それでは、未来とは何か、それは、 拘束されていない瞬間である。
 

 それなのに、社会では、すでに未来すら拘束されているのである。大人たちは、ちっとも構わないと、思おうとしている。 しかし、いくら拘束しても、
時が経つに連れ それを思い知る事になるのである。そして必ず後悔する。  

 でも、そのできごとはすでに過去、いわゆる後の祭りである しかも、ひとは、痛い目にあうと知っていてなお、未来を拘束する。そして、 必ず悔やむ
、やれやれ……と思っても仕方ない。  

 
                               
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