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未来を予想する アジサイ の広場
たば星人 あころ 中1

 頭の中では、時間は過去・現在・未来に3分割される。ところが、時間直線を描けばわかるように、「現在」とはその時間直線の一点にすぎない。もちろ
ん常識はそうはいかない。なぜなら、われわれは現在とか今とかいう表現をたえず用い、しかもその「現在」という時は、実質的な時間幅を持つことが当然 の前提だからである。それなら、「ただいま現在」」の意味とは何か。それは、予定された未来を指すのである。「ああすれば、こうなる」で、囲い込まれ た時だ、と表現してもいい。具体的にいうなら、手帳にかかれたよていである。それなら未来とは何か。本来未来とは、何が起こるかわからない「ああすれ ばこうなる」で拘束されていない時間である。自分がどの段階でどれだけ年老い、どれだけの体力を失い、感覚がどれだけ鈍るか、それは手帳には書いてい ない考えてみれば、その手帳がすなわち意識である。意識という手帳は、そこに書かれていない予定を無視する。意識はそれをできるだけ「意識しない」た めに、意識でないものを徹底的に排除する。こうして世界は、「ああすればこうなる」ものであるように見えるようになる。その世界では、意識がすべてと なり、時間は現在化するのである。そうした状況をわたしが批判すると人はこう質問する。「じゃあどうしたらいいですか?」その答えがあるということは 、つまり「ああすればこうなる」が成立するということである。人がそれを常識としていることがこうした質問からよくわかるのである。  

 つまりこの著者は、「定まらない未来を大切にしろ。」といいたいのだ。僕はこの意見に賛成だ。それは、未来のすべてを定めてしまうと、そのための準
備をしてしまい後で、変更されたときに困ってしまうこともあると思うからだ。  

 例えば、学校の授業で、次に勉強するところを予習したとする、そしていざ授業と思ったら、いきなりそこをとばして授業をされる。ということがあるか
もしれない。そんなときちょっと損をした気分になることがある。そういうことをさけるためにも、「漠然」とした未来を少しは残しておいた方がいいと思 う。  

 しかし、ある程度は未来を現在にした方がいいと思う。それは、未来を現在にしないと、予想がたたないからだ。
 

 予想が立たないとこのようなことが起きる。英語の授業で、予習をしてくる宿題がでた。しかし、「ああすれば、こうなる」で囲い込まないと、予想がで
きないのでDくんは、  

 「どこをやればいいかわからない」
 

 と思って、朝、学校に行ってから書くことにした。が・・・しかし、予習をする時間が無くて、結局忘れ物で、チェックされてしまった。ということだ。
(;-;)  

 このように、予想を立てなさすぎる戸、悲劇が起こる。だから、予想は、たてた方がいいと思う。
 

 僕の結論は、「臨機応変」という、四字熟語があるとうりそのつど、その場にあった、予想の仕方を、探すのがいいと思う。
 

 いままでも、「臨機応変」を心がけてきたけど、これからも心がけていきたい。
                                       
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