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真似と独創性 アジサイ の広場
横浜太郎 あわか 中3

 日本人数論者高木貞治(1875~1960)が講演をした際、その話を聞いたあるドイツ人が「日本人が数論をやるようになったのなら、そのうち猿もはじめるに
違いない」といったそうだ。それから数十年。日本は世界有数の「数学大国」になった。今は日本人の数論者が講演しても、誰も不思議がらないだろう。し かし、最近の日本には技術でない「何か」が欠けている気がしてならない。  

 第二次世界大戦が終り、敗戦国である日本はアメリカに占領された。その当時のことを資料でしか知らない僕に大口をたたく権利はないのだが、その時は
まさに「0からのスタート」であったようだ。僕の祖父母も満州から引き揚げてきたのだが、祖父の家が無くなってしまったため、仕方なくしばらく祖母の 家にすんだと聞いている。祖父母は、確かに大変だったと思うし、その苦労は僕には計り知れないものだ。だが、もっと大変だったのではと思うのが戦争孤 児だ。ただでさえ両親を失って悲しいのに、追い討ちをかけるように明日から自分で生きていかなければならないという試練がある。その心境は、ここには 書き記せないものであったろう。  

 そのような状況の中で、影響を受けたのが産業だった。戦前・戦中の日本製品は「安かろう 悪かろう」だったのに対して、戦後の日本は「安かろう 良
かろう」を目指した。そして、日本の経済はうなぎのぼりに上昇していった。それを助けたのは中小企業である。明治の「富国強兵」政策も凄かったが、戦 後の「欧米に追いつけ」政策(?) も凄かった。そして、そのどちらにも共通していたのが「欧米に追いつくためには、欧米を真似る」ということと、「今は押えつけられているが、いつか見 返してやる」というスピリッツだった。それで、車を例に挙げてみれば、安い、燃費がいい、小回りが利くの三拍子そろった車(例えば「スバル360」や「マ ツダキャロル」など)を作り出した。これももとはといえば欧米を真似したものである。だが、現在では同じ「車」でも、明らかにアメリカ車と日本車は違う 。つまりはダーウィンの進化論みたいなもので、先祖は同じで同じ車という(生物だったら哺乳類とか爬虫類とか)仲間だが、全く別のものだと考えたほうが いいのではと思う。愚痴を言わせてもらえば、テレビを発明したのは日本人だし、エアバッグも日本人が発明したものだった。それを置いておいて、日本人  

 しかし、欧米諸国は日本が真似をしていると悪口を言っているようだが、真似が常に悪い、または恥ずべきことであるかと言えば必ずしもそうではない。
むしろ真似をするのが良いことなのではと思う。有名なところでは、マイクロソフト社の創始者ビル・ゲイツが挙げられると思う。マイクロソフトの主力商 品「Windows」は、もとをかえせばアップルコンピューターの「Macintosh」を真似した(パクった?) ものである。これについては様々な意見があるが、結局のところ「Windows」は真似をしたからといって販売停止にはならなかった。そして、現在では全世 界のOSの98%が「Windows」である。結果的に「Windows」は勝ち、「Macintosh」は負けたのだ。これも日本と同様、真似で勝った例の一つである。  

 高度経済成長によって、日本は経済大国にのし上がった。それには多くの人の目に見えない努力と、「絶対見返してやる」というスピリッツがあった。し
かし、日本は豊かになり、目標としていた欧米諸国に追いつき、あるいは追い越していく過程で、「絶対に見返してやる」というスピリッツを失ってしまっ たのではないかと思う。今、日本は前を走っていた目標を見失ってきている。確かに、欧米にはない日本だけのものを作ろう、ということも素晴らしいこと だと思うし、僕自身出来ればそうであってほしいと思う。しかし、基礎知識や専門知識もないのに孤軍奮闘しても、結局は失敗するだけだ。それならば、そ のことについて詳しく知っている国なり、団体なり、個人なりによく聞いて、知識を得てからやるほうが確実である。だが、真似ばかりしていて、自分だけ のものを作り出せないのも困る。大切なのは、ずっと闘志を持ちつづけることと、いかにバランスよく、真似することと自分で作り出すことを分けるか、で ある。  

 
                                               
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