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人間の内的世界 アジサイ の広場
Lisa あいす 高1

 子供は「ふしぎ」と思うことに対して、大人から教えてもらうことによって知識を吸収していくが、時に自分なりに「ふしぎ」な事に対して物語りをつく
り、納得する場合がある。外的現象と人間の内的世界をイコールでつなげた考え方である。しかし、現代のテクノロジーをみてのとうり、人間は大人になる につれて、物語的説明では納得しなくなり、人間の内的世界から切り離された「自然科学」を生み出した。この現象により、人間は物語的説明を軽視しはじ めたが、生きている充実感を得るためには、人間の内的世界が必要不可欠なのである。  

 もちろん人間は、充実感ある生活を求めている。人間は常に感情を持っている生物であるがゆえに、人間の内的世界をとりいれて「ふしぎ」を解決するこ
とは、そう困難なことではないはずだ。子供も大人も充実した毎日を得るためには、まずすぐ答えを知ろうとしないことだ。日本人はよくせっかちと言われ ている。私もそうだが、数学の問題をといているときにしろ、理科の問題をといているときにしろ、考えて分からなかったらすぐ解答を見てしまう。これで は、自分の内面的なものでもなんでもなく、外的対象をうのみにしただけである。考える力を養うということは、人間の内面世界をとりいれ、養っていくと いうことなのだ。  

 また、自然科学のすべてを正しいと思ってはならない。たとえ世界の「ふしぎ」を理論的に説明できたとしても、それをすべてと思ってしまっては、そこ
から発展させて得るものはないにちがいない。すべてを論理的に説明してしまったらつまらないということもあるし、人間の内面的なものを関連させなけれ ば説明のつけようもないものがあるということもいえる。自然科学とは異なる話になってしまうが、偏差値はただの数字であり、人間の内的世界とは遠く切 り離されたところに位置している。確かに個人的なレベルを位置づけるものとしては、説得力があるかもしれない。しかし、偏差値で人々の能力を図れると 思ったら大間違いであるように、自然科学で世界のすべての「ふしぎ」を説明できると思ったら大間違いなのである。  

 確かに、自然科学は必要な分野ではある。文頭でも述べたように、自然科学が発達することによって現代の社会は随分と便利なものとなった。しかし、毎
日が充実しているとは言いきれない。人間にとって一番大切な内面的世界を積極的にとりいれることによって、初めて充実した毎日がおくれるのだ。これか らは、子供のように「ふしぎ」に対して内面的世界をとりいれて物語的説明で納得していくことも必要なのだ。  

 
                                                 
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