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豪華な包装の罠 アジサイ の広場
拓馬 ねき 中3 img  

 ある物事に興味を持ち、それを研究しようとするとき、まず誰しもが着目するのはその形態や振る舞い、すなわち現象論的側面である。次いで、もう少し
詳しくそれぞれの存在する条件(たとえば場所とか温度とか)でその特徴を記述することを試みる。  

 しかしながら、もしそれぞれの科学が、そのような範囲の中にのみとどまっているのならば、しょせんは記載的な博物学にすぎなくなってしまう。
 

 次に必要なことは、ある事物や現象の形態や振る舞いの奥にひそむ原理を追求することであろう。考えてみると、ハドレーの大循環論は、まず経験的事実
(現象論)から出発し、成因を論じ、さらに作用論にまで及んでいたのである。ここにこそハドレーの偉大さがあったわけである。  

 原理、すなわち本質を見抜くには、ただただ見るだけではダメダメである。まず方法として、見えるところだけをみて、すべてみたつもりにならないこと
。これがひとつ。例えば、あなたが誕生日にお友達からとても豪華な包装のプレゼントをもらったとする。あなたは大きな期待を胸に、その箱を開ける。「 中には何が入っているのだろう?プレ○テ2かな?それともノートパソコン?」しかしそんな期待を裏切って、中には大きく「粗品」とかいた真っ白なタオル が2つ入っていた。この時に、なぜとてつもなく大きい寂寥と憎悪の感があるのか…?これは、包装(現象)の豪華さに惑わされ、中身のもの(本質)を別に考 えなかったからである すなわち、包装で中身の値段を予想する、つまり!現象を見て、本質も見たつもりになったということである!!もし何か「現象」を見た ときも、「これは氷山の一角を見たに過ぎない」と意識することが、そして、本質をみようとすることが重要なことなのだ。  

 また、表面というものは変わり易いが、中の本質というものは、あまり変わらない。だから、テレビなどの各種マスコミによるうわべだけの情報をうのみ
にしないことである。同じ事柄でも、立場を違えるだけで、180°逆のことをいうことになるし、時間がたてば、また情報が変わる。そんなときに、いちいち そのすべての情報を信じていたら、その本質をまったくもって見失ってしまう。ニュートンが、りんごが落ちることに疑問を抱いて万有引力を導き出した話 は、あまりにも有名である。これは、ニュートンが、りんごが落ちるという「現象」を、なぜおちるかという「本質」まで見極めようとし、発見したことである 。だから、本質を見極めずして、情報の受け売りだけをしていても、進歩は望めないのである。  

 だが、表面的につかむことは、情報を端的に、スピーディーに知るといった面では、圧倒的に有効な手段である。だから、あまり本質本質と口うるさくい
うことも効率性や情報量に欠けるし、それこそ本質を突いた行動とはいえない。芸能人のAさんが不倫した理由は……なんて、そんなことは本質を見たって しょうがない。それは芸能評論家の仕事だ(もっとも、そんなしょうもないことを朝からやるワイドショーもどうかと思うが)。しかし、やはりもっとも重要 なことは、決して上っ面を集めたものでなく、本質を見抜いた言動である。「大切なのは、健康らしい外見ではなく、健康自身である。」という言葉がある 。そう、上っ面は実はどうでも良い。結局は、本質を求め、求められることになる。最初は上っ面に始まっても、最後には本質にたどり着いている。それに 人間としての偉大さがあるのだ。  

 
                                           
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